キシキシぷらむ視界

だらだらと長いだけの日記と、ちょこちょこと創作メモのような何かがあるブログ。

十二月には通用しない



「オーブントースターを使わずにブッシュ・ド・ノエルを作れるらしいよ」


 フローリングの床に長々と寝そべる彼に彼女がそう言ったとき、この部屋はまだ八月だった。
 なんてことはない。壁にかけてあるカレンダーを長いことめくらずにいただけである。

 カレンダーは華奢な字体で、数字の八。その上には入道雲とひまわりの写真。長方形に切り取られた夏。
 この写真のようなできすぎた夏を手放したおぼえはない。と、彼女は仏頂面で考える。曖昧な季節の匂いと、洒落にならない暑さが、ただ遠のいただけのことだ。たったそれだけで秋になった。実際もう十月だ。
 止まっているカレンダーに気づいたのは彼だった。


「うわ、まだ八月のままじゃん。二ヶ月も遅れてる。信じらんない、二ヶ月も」


 普段はだらしないくせに、妙なところで真面目な男である。カレンダーをめくり忘れるなんて言語道断とばかりに非難された。言葉とは裏腹に、どこか機嫌の良さそうな声で。


「ねえユヅルくん。世界中に置いていかれてるんだよ、この部屋」


 部屋には彼と彼女のふたりきりだ。


「めくっていいよ」


 彼女は爪を磨きながらそう言ってやった。
 女の人の爪って楽しそうだよね、と、いつかの彼の言葉を思い出す。
 ショートケーキの苺とか、ファミレスの呼び出しボタンを押す権利とか、そういうものに弱い彼である。カレンダーをめくるときもわくわくする性分のようで。


「じゃ、遠慮なく」


 屈託なく弾んだ声のあとで、紙を破く乾いた音がした。さらにそのあと、あ、やべ、と小さく呟くのもしっかりと聞こえた。なにかと手間のかかる子である。
 顔をあげれば、突然、十二月になっていた。


「ごめん。なんか、こう、一気にめくったら、全部剥がれた」


 要領を得ない彼の言葉。残ったのは一番最後の十二月だけ。
 写真はちらつく雪とクリスマス飾りだった。十二月には天皇誕生日も大晦日もあるというのに、完膚なきまでにクリスマス一色だ。赤と緑と銀色、バランスよく配置された幸福さと暖かさと、その引き立て役の寒さ。
 どれもこれも、クリスマスが好きですと可愛らしく主張していた。可愛らしくて、刹那的だ。写真素材はシャッターを切ったあとで撤収されたに違いない。そうでなくちゃ、と彼女は思う。スマートに過ぎ去るからこそ毎年待ちわびるのだろう。


 クリスマスが好きだということを、彼も彼女も内緒にしている。


 四ヶ月ぶんのカレンダーを所在なさげにペラペラしている彼は、見た目だけは芸術的なまでに綺麗だった。
 嫉妬や憧憬や下心の向こう側をいく非常識な美形だった。そう、ちょっと深刻なくらい、綺麗だった。
 だけど彼女の興味をひいたのは容姿ではなかった。なんだかすごくかわいそうだと、直感的に思ったのだ。何不自由なく育ってきましたという風情の、身なりの良い男を前にしてだ。
 その綺麗な顔で世渡りしてきた彼にとって、それはイレギュラーなことだったかもしれない。もちろん彼女にしても、そんな脈絡のない同情にこんなにも心動かされたのは不測の事態だ。
 その違和感をポジティブに解釈する(たとえばそれが恋だとか)には、お互い性格が暗すぎた。彼も彼女も嫌な方向にセンスがよろしすぎたのである。


 ――これが噂のレンアイってやつですか。なにそれ、ご冗談が、きつい。


 それはさておき。どうしてそんなにたくさんめくっちゃったんだろう。彼女は思う。馬鹿だからかな、とすぐに結論が出た。
 いっそ潔いくらいに、容姿が取り柄の男だった。まともな料理を作ったりだとかそういうことはあまりできなかった。役に立たなかった。
 それでも箸だけはきちんと持てる。玄関で靴を脱いだあとで、しゃがんで靴を揃えてからあがる。
 躾が行き届いている。そう思ったとき、誰にだかわからないけど、なんとなく、嫉妬に駆られた。そうしてやはりなんとなく、腹いせに、プリンはモロゾフしか食べないというポリシーを打ち砕いてやった。
 うちお金持ちらしいよ、すごく。出会ったばかりのころ、彼はそう言ってふにゃりと笑った。
 箸よりも重いものを持たずに生きてきましたというような印象を受ける彼だけど、セックスの際に彼女の両膝を軽々と抱えた。

 理不尽なくらい、馬鹿で綺麗で金持ちで、まともな思考回路を培うことはできるだろうか。
 その境遇は彼になにかを考える隙を与えないようにと、神様が仕掛けたトラップではないだろうか。かわいそうな人間をひとり、つくってみた結果、彼ができたに違いない。

 あいかわらず彼はちぎったカレンダーをペラペラさせて、十二月のカレンダーの写真を見つめていた。放っておいたらいつまでも見ていそうなので、貸して、と声をかける。
 よこされた四枚のうち十月と十一月だけ、十二月の上にセロハンテープで貼りつけた。


「万事解決」
「十月に戻った」
「あたしは時空を操れるのだよ」
「わーすごい」


 彼は、たまにすごく簡単なので、やりづらい。


「で、ブッシュ・ド・ノエルがどうしたの?」


 そこでようやく冒頭の話題に戻った。
 あぁ、と彼女はカレンダーから彼へと視線をスライドさせる。そうして柄にもなく、可愛らしく、にっこりと。彼が息を呑むのがわかった。
 カナが笑う。それだけのことを、彼はわけもなく特別扱いしているのだ。それは恋愛感情に似てこそいたけど、それよりももっと、警戒心や敵対心に近かった。まったく可愛い男じゃないか、と、思う。


「オーブントースターいらずのお手軽スイーツシリーズ、十二月号はブッシュ・ド・ノエルのつくりかたです」


 彼女の部屋の本棚にある、一年前の料理雑誌の話だった。
 毎月購読しているわけではない。気まぐれで一冊買っただけ。今まで捨てずにいたのも気まぐれだ。
 言ってしまえば、彼を自室に転がしておくのも気まぐれに過ぎない。だってそういうことにしておかなければ、この男、今にも逃げ出しそうじゃないか。


「まだ十月ですよ」と、彼は平生を装う。
「さっきまでは八月だったよ」と、彼女は普段の仏頂面に戻って答える。
「そして一瞬、十二月だった」
「ねえケーキつくってよ」


 充分に助走をつけて飛んだつもりだったけど、彼にしてみれば不意打ちも甚だしかったようで。さてどこからなにに抗議しようかと、思案する顔がやけに真剣なのがおかしかった。


「俺、料理できないよ」
「大丈夫、できるよ」


 根拠もなしに無表情で励ました。どうせこの男はバターを溶かす段階で失敗するだろうけど。
 つくれるかしら、と可愛い子ぶった声が近くなる。間近で見る瞳が場違いに欲情していたので、こいつ案外不粋だな、と彼女は密かにほくそ笑んだ。たまに機嫌良く笑ってみせればこれである。


「まさか、いますぐつくれとか言わないよね」
「うん、言わないよ。バターないし」
「バターいつ買うの?」
「十二月」
「十二月にバター売ってるかな」
「売ってないかもな」
「マーガリンでいいんじゃないかな」
「いいかな」
「カナさんがいいならいいよ」


 なんの話をしているのかわからなくなった。
 ただ、抱き寄せる腕の慣れたことといったら。反転した視界の鮮やかなことといったら。頬に彼の睫毛が触れた。


「てゆーかカナさん、甘いもの嫌いじゃなかったっけ?」
「なんとなく十二月にケーキを食べたい気分になった」
「そっか」
「十二月はケーキを食べる季節だからね」
「……目、閉じてくれません?」
「ユヅルくんが閉じなさい」


 え、と薄く開いた唇を塞いだ。
 お互いここまでやっておいて、そこに愛はありませんよ、と、しれっとした顔で言うのだろう。
 十二月につくるブッシュ・ド・ノエルを、クリスマスケーキと形容しない頑なさとか。そんなことが、いったいいつまで通用するのだろうか。
 たとえば、クリスマスが好きだと言ったら、もう二度とクリスマスが来ない気がする。
 彼も彼女も厳かに構えすぎている。違う相手なら、もっと簡単に済ませられるのに。違う相手じゃだめなんだとは、なぜか恐ろしくて言えやしない。ふたりとも口数が減る一方だ。

 自分の吐く息が思いのほか熱かったことに辟易して横を向いたら、八月のカレンダーがすぐそばにあった。
 夏が床に落ちている。そうして今は、セロハンテープで貼りつけらた十月を謳歌。
 はからずしも、この部屋の季節を巡らせたのは彼かもしれない。どうかどうか、この先もその役目が彼のものであってほしい。この感情を恋と呼ばずしてなんと呼ぼうか。
 簡単なことである。病気だ。彼も彼女も病んでいる。いまのところはそういうことで、どうか、ひとつ。


「ねえカナさん、俺のこと愛してる?」
「べつに」


 はたしていつまで通用するのやら。



好きじゃないしもう信じない。


これ以上傷つかないために「最初から期待しない」という方法があるけれど、それってなんだか相手にも期待されたくないという自分の不誠実と怠惰を暴露しているみたいだ。でもたくさん裏切られて「最初から信じない」ことを覚えていく。諦めを知って癖になる。きっと、元には戻れないだろう。裏切られたときのいっときの苦しみなんかより、人を信じることの出来ない人生の方がじわじわと心を痛めつけるはずなのに。


痛み


かゆい、と思ったところを掻いてみると、違う、ここじゃない、と感じる。
この空振りは何なのだろうと首を傾げつつ、未だ残るかゆみのありかを探して肌をまさぐる。
確かに肘のあたりにそれを覚えたのに、意外なことにその手の薬指に辿り着いた時の微かな驚き。
これは何なのだろう。神経の回路がどこかで絡んでしまっているのか。
かゆみという曖昧な感触。人には見つけてもらえない、時に自分ですらその行く末に惑うもの。
もともとは、痛みと根源を同じくしていると聞いたことがある。
だからか。
痛みも、ふとしたはずみでその正体を見失うのは。
どこが痛むのか。
どうして痛むのか。
いつ、誰が痛めたのか。
痛みを治めるにはどうしたら良いのか。
分からない。
痛めつけられなければならない理由を教えてくれたら、答えが出るだろうか。
この疼き。昼といわず夜といわず、じくじくと成長していくようで停滞し、かといって静まりもしないもどかしさ。苛立ち。
何を訴えているのか。
私だけにしか、それを知る術はないとしたら、単なる痛みをこえて悲しみにすらなる。
孤独のサインを見せつけられているようで。

3ヶ月前くらいから恋人氏
が手の痺れを訴えてるんですよ。ふと見ると手が震えている。時折持っているペンを落としたり、力を入れるとつりそうになると言う。聞く限りでは震えの元が骨なのか肉なのか皮なのか分からないけれど、神経系のどこかしらが今きっとおかしい。
どこかにぶつけたのかなあ。実際、空手をやっている故に各所で各部を殴打したりするのでいちいち憶えていられない。
触っても痛みが増す訳ではないので放っておいても大丈夫だろうけど、何となく気になる。やはり心因性、なのかな。

私の恋人氏は360度どこから見ても素晴らしい。実際、彼とのやりとりは私にとってケアという言葉に近い。信頼出来るパートナーがいる人間は強いということを思い知る日々を送っている。無理を言って負担になりたくはないし支えたいと思うのだけれど、どうもうまくいかないな。


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写真は特に意味はない。朝のウォーキング中に見かけたリアルドナドナ。





人魚姫




童話、人魚姫の二次創作小説です。
作品のイメージを壊したくない方は
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その昔。
とある海の深く奥、七色に輝く魚や揺らめく昆布、踊ったまま飲まれていくプランクトンやふわふわと海底を歩くエビやカニ、その他さまざまな種類の生き物たちの王国で、人魚は生まれました。


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人魚はとある一族の末っ子として生まれ、優しい姉たちや両親に愛でられながら育てられ、17年の時を過ごしました。
ここなら誰も人魚を傷つけない。
恐ろしい鮫やシャチのいる海域にさえ行かなければ。
人魚が14の時に人間の男に恋をして海を去って行った優しい長女。
海に差すまばゆい光のような美しい長い髪を持った次女。
親友だった巻貝の亡骸に紐を通しいつでもどこでも首にぶら下げている三女。
どこから拾ってきたのか宝石の埋まったピアスや指輪を嵌めている四女。
透き通った歌声で人魚を眠りや笑顔へ誘ってくれる赤い瞳の五女。
人魚は幸せでした。


ある日四女が言いました。
私がつけてるアクセサリーはね、人間の女が泣きながら海に投げ捨てていたものなのよ。

四女がつけているピアスや指輪には、見たこともないような綺麗な光る石が埋まっておりました。

これはね、宝石というものなの。
四女が言いました。
人魚もそんな赤やオレンジやピンク色に光る石の埋まったアクセサリーを欲しいと思いました。


四女に連れられ人魚は海をのぼります。
海に差した太陽の光が強くてまぶしい。
人魚は目を細めます。
だけど私の住むところより暖かくて明るくて、綺麗だ。
人魚は思いました。 

きゃあ、人間! 
四女が突然叫びました。
人魚は少し遠く、ゆらゆらと波に翻弄されている影を見つけました。

あれが、人間?
人魚は思いました。

大変、助けなきゃ!
四女が叫びました。
どうして?
人魚は言います。
馬鹿ね、人間は海の中では生きられないのよ。息ができなくて死んじゃうの。
四女が言い、人間の方へ泳いでいきました。
人魚もそれに続きます。

四女が人間の腕をかかえ、人魚が足を掴みました。
これが足、なんて思う暇もなく二人で浜を目指します。


初めて上がる海の上。
初めて見る空に、眩しい太陽。白い砂。

二人で人間を浜辺に寝かせた後、四女が人間の頬を叩いています。

「もう死んでるかもしれない」

四女は言いました。
人魚は人間をまじまじと見つめました。
黒くて肩までの短い髪。
閉じた瞼。長いまつげ。
全身を纏っている布のせいでよくわからなかったけれど、上半身は私と似てる。

「これは男よ。パパと同じね」

四女が言いました。


さ、もう行こう。
四女はそう言って海の中へ入っていってしまいました。
人魚は人間の男を見つめます。
そのとき人間の男が小さな声で、う、と言うのが聞こえました。
ゆっくり開く瞼。濡れた黒い髪。すこし開いた淡い色の唇。隈。
人魚を見つめる、漆黒の瞳。


人魚はその瞬間、男に恋をしてしまいました。



海に戻ってきても、寝ても覚めても、考えるのはあの人間の男のことばかり。
当初の目的、宝石のついたアクセサリー探しのことはすっかりさっぱり忘れてしまっています。
漆黒の髪。青白い肌。虚ろな瞳。
その瞳は、わたしを見つめていたけれど、ちゃんとわたしを映していただろうか。
人魚は思いました。


人魚は毎日一人で海をのぼり、男の姿を探します。
何日目かにしてやっと、浜に佇む男の姿を見つけました。
纏う布は今日も黒。
人魚はうれしくて胸が張り裂けそうです。

男は目を閉じ、黒い髪を潮風になぶられ、まるで立ったまま眠っているよう。 
人魚はただ海の中からそっと、男を見つめるだけでした。

人魚は思いました。
私も人間になろう。
一番目の姉さんのように、足を持とう。そして歩こう。
あの人に会いに行こう。


人魚は18の誕生日に、伝説の魔女の元へ向かいました。
人魚の想像していた姿とは違い、魔女は若く美しく、中性的な顔立ちをしていました。
うねる髪は黒、瞳と唇は血のような深紅。
黒いマントからは人間の足がのぞいていました。

「あなたにお願いがあります。あなたのその不思議な力でわたしに人間の足を下さい。」

「…お前はあれかい?4年前にお前と同じ願いを持ってあたしの所へやって来た人魚の妹かい?」

魔女は薄く笑いました。

「ごらんよ」

魔女は不思議な水晶を持っていました。
人魚が覗くと、なんとその水晶には4年前に声と引き換えに人間になった1番目の姉の姿が映っていたのです。

「姉さん!」

人魚は言いました。

姉は泣いていました。
口元を覆う手や腕にはさまざまな色の痣がついています。 

「服で隠れているけどね、お前の姉は全身痣だらけ。一生消えない傷もあるよ」

魔女は言いました。

「あの女は人間になって無事愛した男と結ばれた。けどね、ろくに仕事もできない喋ることもできない愚図だからすぐに足手まといになったのさ。あの男に殺されるか捨てられるか、時間の問題だね」

人魚は水晶を見つめます。
泣いている姉。
鼻をすする音、激しい呼吸の音、咳、溜め息。
…姉さん。

「さあ、どうする?お前もあんな惨めで醜い姿になるかもしれないよ」

人魚は迷いました。
けれど言います。

「声と引き換えに、わたしに足を下さい。お願いします」

なぜ自分があの男のためにそこまでするのか。
人魚にはわかりませんでした。

「そうかいそうかい。ヒッヒッ」

魔女が細くて赤い爪を振り、喉と尾ひれが焼けるように痛み始めました。
そこからの事は、覚えていません。



「君、君、ねぇ、大丈夫かい?」

そんな声に揺すぶられ、人魚は目を覚ましました。
目に映るのはまぶしい金色の髪。綺麗な碧眼。赤い唇。
人魚は浜辺に打ち上げられていたのです。

「どうしたんだい、こんなところで素っ裸で。」

その男はこの国の王子様でした。 
人魚は大丈夫です、と言おうとしたところで自分が声をなくしたことを思い出しました。
尾ひれが痛い、そう思って下を見ると下半身からは二本の白い足。
そうだった。人間になったんだ。
わたし、人間なんだ。

「もしかして、君は声が出せないの?」

人魚はこくこくとうなずきました。

「そうか、困ったな。とりあえず僕の城においで。風呂に入って体を乾かして、服を着るといい。立てるかい?」

人魚は足を指さし、困った顔をします。

「痛いのか」

人魚はうなずきます。

「なら」

王子様は自分の上着を人魚の裸体に巻き、そのまま抱きあげます。

「さぁ、行こう」


人魚は王子様の城で、まるでお姫様のように大事に大事に扱われました。
声も出せないろくに歩けない、素っ裸で海辺に倒れていた得体の知れない女の事を王様やお妃様や召使いは気味悪がりましたが、王子様の命令には逆らえません。
そのうち女を問い詰めて正体を人魚だと知ると、王様もお妃様も召使い達も人魚を珍しがり、可愛らしい服を着させ海での生活を面白そうに尋ね、人魚に唇の動きだけで綺麗なサンゴ礁や虹色の魚の事を語らせては大きな海に夢を見るようになりました。

王子様は初めて人魚を見た時から、人魚に恋をしていたのです。
王子様は町の仕立て屋に人魚の新しいドレスを作らせ、人魚のための新しい召使いを雇い、毎日身づくろいをさせました。
まさに、至れり尽くせり。

人魚はなぜ王子様がこんなに自分に優しくしてくれるのかわかりませんでした。
王子様も召使いさんもみんな優しいけれど、早くここを出ていかなければ。
早く早く、あの人に会いたい。

やがて人魚は、一人になった隙を狙って城の外へ飛び出して行きました。
一歩一歩踏み出す度、足が裂けるように痛みます。
人魚は気にせず、あの海辺へと向かいます。


男はいました。
目を閉じて、立ったまま眠っているように。
ああ、やっと会えた。
あの人だ。
人魚は何も考えず男に飛びつきます。

うわっ!
男は言い、自分より頭ひとつ背の低い女を見つめました。

「君は…」

男は漆黒の瞳で人魚を見つめ、言います。

「僕を、助けてくれたことがある、ね?ずっと会いたかったんだ。ずっと探してた。この海に来ればまた会えるかと思って、」

人魚はうれしくて、大粒の涙をたくさんたくさんこぼしました。


それから人魚と男は毎日を一緒に過ごしました。
男は人魚をラプンツェル、と呼びました。
人魚の髪がとてもとても長かったからです。

「ラプンツェルには及ばないけどね」

男は言って、笑いました。


男は売れない詩人でした。

「あの日、僕は死のうと思ったんだ」

男は言います。

「もう何もかもが嫌になってね。死のうと思って、海の向こうに泳いでいってあとは波に身を任せた。けれど地に足がつかなくて口と鼻の中にたくさん海水が入ってきてから、やっぱり死ぬのが恐くなったんだ。情けないことにね。死にたくないと思ったけれど、もう遅かった。」

小さな、すこし汚い部屋。
男は笑いました。

「そんな時僕を助けてくれたのが君なんだ。一体どうやって波の中にいた僕を助けてくれたの?」

人魚は唇の動きだけで伝えました。
わたしが助けたわけじゃないの。
あなたは勝手に波に打ち上げられていたのよ。

ふーん、男はうなります。

「誰かに足を掴まれて上へ運ばれたような気がしたんだけど」

人魚は思いました。
四番目の姉さんのことは、覚えていないんだ。


人魚は着ていた高いドレスと靴を売り払い、安物の服をたくさんとパンと林檎をいくつか買って、男は日雇いの仕事をしながら詩を書いていました。

男は古くなったアコーディオンやハーモニカを人魚に聞かせたり、働いた金で足の冷えやすい人魚のためにブランケットを買ったりしました。
人魚は悪戦苦闘しながらレシピを見て男に林檎のパイやバラを散らしたサラダ、飴の埋まったクッキーを男に作り食べさせます。

男が笑えば人魚も笑い、人魚が笑えば男も笑いました。
朝は男を仕事に送り出し、その間に人魚は家事をします。
夕方男が帰宅してからは一緒にご飯を食べたり詩を読んだり、ブランケットにくるまってキスをして、夜は狭いベッドの中で手を握り合って眠ります。
貧しいながらも、ふたりはとても幸せでした。 
人魚は男に自分の正体を言ったらどうなるだろう、と考えました。

王子様や王様たちはわたしのことを珍しがり、海での生活を根掘り葉掘り聞いてきてちょっとうるさかったけど、彼ならなんて言うだろう。
そうか、やっぱりあの日僕を助けてくれたのは君だったんだね。道理で君からはいつも海の匂いがすると思った。
ラプンツェルなんて呼んでごめん。
きっとそう言うに違いない。
そしてわたしの詩を書くんだ。タイトルはもちろん人魚。

人魚は思いました。
知ってほしい。わたしの、いろんなこと。
ふるさとのやさしい綺麗な海のこと。
お母さんやお父さんのこと。わたしなんかよりもっとずっと美しくて長い髪を持っていた次女のこと、親友の巻貝をいつも首からぶら下げている悲しくてやさしい三女のこと、綺麗なアクセサリーをたくさんつけていた四女のこと、いつも子守唄を歌ってくれていた美しい声の五女のこと。

そうだ、水晶のなかで泣いていた一番上の姉さんはどうなっただろう。
今度探して、会いに行ってみよう。
人魚は思いました。
魔女に居場所を聞いておけばよかったな。


ある日。
人魚と男は丘の上まで散歩に出かけていました。
男はノートと鉛筆を持って。
人魚は林檎や苺やラズベリーを籠に入れて。
ふたりは踊ったり唄ったり果物を食べたり丘に広がる景色を眺めたりして、夕方手をつないで小さな家へと戻ります。

きっと君は素敵な声を持っていたんだろうね、男は言いました。
人魚は笑いながら、声じゃなくて髪で足と交換すればよかったかしら、と思いました。
でもこの髪がなくなったら彼はわたしにラプンツェルじゃなくて丸坊主、なんてあだ名をつけたかもしれない。
いや、そんな事はしないか。
人魚はひとりほくそ笑みました。

人気のない石レンガの道。
すこし冷たい空気とケヤキの葉の匂いがします。


「人魚!」 
突然うしろから叫ばれ、男と人魚は振り返ります。
そこには、猟銃を持った王子様が立っていました。

「人魚、ずっと探してたんだ。突然いなくなってしまって。何をやっているんだ、そんな黒い瞳の汚らしい男と手なんかつないで。一緒に城に帰ろう。」

男が人魚を抱きしめます。
人魚はいやいやと首を横に振ります。

「どうしてだ。城にはたくさんの召使いや高価なドレス、おいしい食事、立派なベッド、綺麗な風呂、なんでも揃っているだろう。何がだめなんだ、」

違う、そういう事じゃない、人魚は思いました。
首を激しく横に振ります。

王子様は溜め息をつき、猟銃を構えます。


バーンッ、

あまりの大きな音に人魚は固く目を閉じ耳を塞ぎます。
耳の奥がジンジンする。
ひやりと冷たい空気が人魚の体を撫でました。

人魚が目を開けると、たった今まで自分を抱きしめていた男が血を流して足もとに倒れていました。
人魚は声にならない叫びをあげ、男に縋りつきます。
石レンガに広がる血。
男はお腹を押さえて人魚を見やります。

「そうか、君はラプンツェルじゃなくて人魚だった…んだね。道理で君からはいつも海の匂いがすると思った」

人魚の目から大粒の涙がこぼれ、溢れ出てきます。
真っ赤に染まる手。

「あの日、助けてくれて、あ、あり…」

男は何も言わなくなりました。虚ろな瞳。
その目には何も映してはいません。
人魚はがむしゃらに泣き叫び、男を揺さぶります。
声が出ないのに喉が苦しい。
心臓が張り裂けてしまいそう。

「さぁ、人魚。そんな男の事は忘れて、一緒に帰ろ…」

王子様は言いかけて、驚愕の目で人魚を見ます。

人魚が足の指から順に泡になっていきます。
人魚は男の上に覆いかぶさって、まるで疲れ果てて眠っているかのよう。
広がる泡、水。
やがて人魚は数秒もしないうちに全身を泡に包まれ、消えていきました。
その泡が男の血を流し、混ざり合っていきます。


残ったのは男の死体と白く光る泡、 
それと真っ青になって泡に縋りつこうと駆け寄る王子様の姿だけでした。


おしまい


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あとがき

童話の二次創作に手を出したくて、何を描きたいか考えてまず思い浮かんだのが人魚姫。泡になって消えてしまうラストは崩したくなかった。でもこれならバッドエンドではないよね…よね……?
次はヘンゼルとグレーテルで描きたいな。





老夫婦と人形



ある女の子が、母親とレストランに入った。食事をしている内に店内は混雑して来た。
そこへウェイターがやって来て、ここは4人席だから、2名のお客様と相席をお願いしたいとの申し出を受けた。
当然の様に快諾する母子。その2人と席を同じくしたのは老年の紳士とご婦人だった。軽い挨拶を交わしてからと特にコミュニケーションを取るでもなく、母子の食事は黙々と進み、どうやら夫婦らしい彼らはメニューを一瞥してオーダーに及んだ。
その間、女の子の視界にちらほらと入って来たのは、老婦人の膝に乗せられた、一体の古ぼけた人形だった。幼児ほどの大きさはあろうか。リカちゃんの比ではない。まるで本物の子どもの様だ。
そして暫くして、老夫婦の元へ食事の皿が運ばれて来た。婦人の前にシチューが置かれた。彼女は囁く声音でいただきますと言うと、おもむろにスプーンでシチューを掬い、人形の口元へと運んだ。
女の子の母親もその様子に気付かない筈は無いのだが、何も言わず食事を続けている。老紳士も自分の食事に専念して、ただ時折、婦人の方に穏やかな目を向けている。女の子の視野の隅を老婦人の動きが掠めるが、目線は残った料理にだけ注いでいた。
厳粛でもなく、しかし異様という訳でもなく、ひたすら淡々と食事は進み、やがて母子の方が一時早くフォークとナイフをテーブルに置いた。そのまま一礼してテーブルを、そしてレストランを後にした。
母は何も言わない。女の子も無言である。それでも心の中で思った。誰も何も言わなくて、それで良かったのだと。

私がこの話をある本で読んだのは、小学3年生の頃。と言う事は、女の子の年齢もそれ位に設定されていたのだろう。少なくとも私の中ではそうした認識だった。
この世には言葉にならない感情と、現実が、そして大人にはそれらから成る戻れない過去があるのだと、そこはかとなく知った。
そして人との関わりの根幹にあるのは、想像力ではないだろうかと朧ろに感じた。直接の会話も勿論大事だが、全ての人と全てを話し合うのは、事実上不可能だろう。思いやりと言うほど優しくはないし、推測と呼ぶには根拠が薄い。状況によっては偽善で、欺瞞ですらある。だが、想像力は、察するという力は、意外と強いのではないだろうか。相手の立場から物事を見れなくても、それは仕方が無い。でもせめて、自分が知り得ない何かに思いを巡らせて、胸の奥深くにそっとしまっておくならば許されるだろう。

この想像力がある程度の年月を経て妄想力まで発展すると、老夫婦は漸く授かった一粒種を病気か何かで失って、以来、残された母親としての細胞を基とする精神世界ではずっと人形を子どもに見立てて連れ歩いているのだろうとか、子どもの成長に合わせて人形も大きくなっていくのだろうとか、その度に服を買い換えるのかとか子ども部屋も模様替えをしてランドセルを購入するとか誕生日にはお手製のケーキの上の蝋燭が1本ずつ増えて行くとか、その全てを老紳士はひたすら黙して見つめているのだろうとか。命日には老紳士1人だけで墓参りに行くのだろうとか、もしかしたら名前を付ける隙もないまま逝ってしまったので戒名か洗礼名しかないのかもとか、下手したら戸籍すら残っていないのではないかとか、どんどん断片を勝手に組み立てていってしまうのだが、これは対人関係では殆ど役に立たないだろう。私が悪趣味にも個人的に楽しむだけだ。

ところで、これと全く同じような出来事に遭遇したのは数年前の事だ。ラオスの時計台の付近で泥まみれのよれた服を着た30代くらいの女性がよろよろと歩いてくる。とても失礼極まりないが遠くから一見してすぐ正気ではないのがわかった。大事に抱え込まれたソレは、ちょうど赤ん坊くらいの人形。その周辺に行くと高確率で遭遇していたので、毎日徘徊しているようだった。二度目のラオスでは一度も見かけることがないが、今どうしているのだろうとたまに気にかかる。

また、その後同じような話も見かけた。コンビニに置いてあるワンコインで買える都市伝説や本当にあったちょっと怖い話(ホラー的な怖さではなく)の類の漫画に載っていたが、ちなみに私が齢9歳で読んだ本とは学校の道徳の教科書だった。
この転身ぶりは皮肉なのか、ブラックユーモアと取るべきか。ついでに言うと幾つかバリエーションがあるらしく、人形が等身大のマネキンになっていたりする。舞台もレストランから友人の家になっていたりするが、共通点は人間の形をしたそれに食事を与える事と、その家族に該当する人物は事実を何一つ明らかにしない事。
そういう読み方をすると、怖いと言うよりは物悲しくなる。まあ、「知らない」「知る事が出来ない」「分からない」という不安や混乱は恐怖の根源ではあろう。それは否定しない。が、「最も怖いのは人間」というありふれた一言を、やや棘を込めて放ちたい。



緑色の輪っか



目をつぶると丸い輪っかが見えるじゃない。私のは緑色してる。前に1日中それを見ていた事があって気付いたんだけど、輪っかじゃなくて井戸なんだ。私が井戸の底に居て、そっから空を見上げてる。なんでそれがわかったかって言うと、井戸の上から誰か覗いたんだよ。



頭痛の話



最近、頭痛が日常の一部と化している。
もともと頭痛持ちではあるが、ここのところの痛みは恐らく身体のサイクルと猛暑の所為だと思われる。
数年前までは梅雨だろうが台風だろうが何ということも無く、頭痛と言ったら偏頭痛以外にあり得なかったのに、やはり身体は日毎、年毎に変化して行くものらしい。悔しい。
この猛暑の中(35℃オーバー)国境へ向かう道すがら頭痛を紛らわせる為に、マイヘッドエイク(偏頭痛はマイグレイン)レベルを纏めてみる。

レベル1 豆腐の角に頭をぶつけた時の精神的苦痛(未体験。気分が悪くなる程度)。
レベル2 アイスを食べた時にたまにやって来る地味な痛み。短時間で治まる。
レベル3 泣いたり笑い過ぎた後にやって来る、テンションを左右する痛み。
レベル4 アロマなお香を密室で焚いた時の軽い鈍痛(仏壇のお線香なら問題ない)。
レベル5 思いがけず
12時間程度の連続睡眠から目覚めた時の鈍痛。正確に言うと頭痛で覚醒する。
レベル6 軽い偏頭痛。食後に鎮痛剤を飲めば数時間で何とかなる。つまり食事は可能。
レベル7 偏頭痛。視界に異常が出た後で起こる強い頭痛。半日から24時間は続くが食事はほぼ不可能。だけど鎮痛剤は飲む。
レベル8 過酷な偏頭痛。寝ている間に発作が始まることが多く、夢の中でもほぼ視界を塞がれた状態で必死に鎮痛剤を探している。現実に引きずり出されても世界はセンスの悪い色と模様に包まれていて、既に極めて辛い頭痛が勃発している有り様。更に運が悪いと何度か嘔吐する。不安と恐怖でいっぱいなのでそのたび鎮痛剤を飲む。
レベル9 苛烈な偏頭痛2日連続。水分を補給するのも精一杯。水分しか胃に到達しない。
レベル10 神に縋り仏に慈悲を乞い藁をも掴み人生に絶望する偏頭痛。様々な面で記録更新。筆舌に尽くし難い。死を覚悟する。

今日はレベル5と6の間あたりだろうか。iPhoneと向かい合っていられるのだからまだギリギリ大したことはない。でも痛いものは痛い。
思えば偏頭痛を含め、頭痛とは5歳からのお付き合いになる。これだけ長期間に渡る間柄ともなれば痛みの質も変わろうというもの。また、私自身の頭痛への考え方も終わりなき旅を続けて来た。結論としては、偏頭痛では死なない。寝ていれば良い。生きている間は何事も永遠ではない。
普通の頭痛でどうも尋常ではないと感じたら、きちんと検査をする必要はある。将来は定期的にMRIやCTでチェックしておくのがベストだろう。
だが、偏頭痛はどんなに苦しくても必ず治まる、言わば一時的な発作である。じたばたしても始まらない。その程度のことで神も仏も藁もあったものじゃない。いや、藁はあるか。
(言うまでもなく、あくまで私のケースの話である。連日、想像を絶する酷い偏頭痛で日常生活すらままならない重篤な患者さんがいらっしゃることも知っている。精神的にも相当お辛い事だろうと思う。私には祈る以外何も出来ない)

それにしても、世の中には頭痛とは無縁という人も存在すると言うのだから分からない。もう心底から恨めしい程に羨ましい。
しかし私は今までの人生で骨折したこともなければ、海外に出るまでは歯医者にかかったことすらなかった。
不健康ではあるけれど、基本的にしぶとく強運なのでそう簡単には肉体的に滅びない妙な自信がある。
何だかんだとバランスが取れているのだろう。と、つらつら書いている内に頭痛が治まって来た。これは薬が効いたのか、はたまた気は心なのか。人体とは奥深い。


馬鹿というよりバカ


人間、バランスの取れた生き方をするには、馬鹿になれなければ駄目なのかもしれない。
ふとそんなことを思った。

ここで言う馬鹿とは、私が嫌いな類の馬鹿ではない。情報の取捨選択が出来ない馬鹿、他人の価値観を否定しか出来ない馬鹿、自己批判が出来ない馬鹿、想像力を持てない馬鹿、総じて非常識な馬鹿という意味ではない。
言い換えるなら、何かに没頭している状態の馬鹿。馬鹿というよりバカ。そんな感じだろうか。
とにかく、幸せなバカのことである。

その代表格で最も分かりやすい例こそ、オタクだと私は思う。
二次でも三次でも何でも良いからとにかく全身全霊と全財産、ひいては全存在を注ぎ込む。否、捧げる。オタクは対象に殉じてこそなのである。
頭の中はそのことで一杯かと思いきや時に訪れる賢者タイムも何のその、それすら自虐的なオタクの証として誇って良い。
何をしていようといまいと最終的に常に精度と練度を上げ続けている。
365日24時間がオーディション、それがオタク。
ここまでバカだと人間が出来てこようというもの。世界に対して無関心になるのではなく、逆に以下にしてこの世界でオタクを極めるべきかアンテナを張り巡らせているから感受性も鋭くなる。一見空気が読めない風に見えることもあるが、その実、引き際を心得ている。
オタクの幸福でバカな時間がとこしえである。待つのも愛。焦燥感は情熱となり、よって真のオタクは急がない。縁というものを熟知し、大事にしているからだ。

現世でのしがらみと己の努力の間にどれほどの隔たりがあろうと、決して絶望することはない。時に失望を味わいはしても必ず立ち直り、また歩き出す。
潔いけれど諦めない。足掻くことを恥としない。求めることがみっともないと知ってなお、求めずにいられない。
バカだ。猛烈にバカだ。
だが、とても人間らしい。
両極端に立てる精神の均衡を備えたバカ、それが本来の人間のあるべき姿ではないだろうか。

真面目に生きるのも勿論悪くはない。しかし折れることを知らない頑なさは傍目に見ても悲しい。不器用で愚直な人間はいとおしいけれど、一切の楽しみを罪だと断じる輩は救えない。
バカな夢を慢性的に見ていられるバカさ加減が大切だと思う。バカだな、自分、と笑えるように。
テンションの浮き沈みが激しい時は特にバカになると良い。もっと若い頃に人間関係の中でバカになれていたら……と逡巡すると胸が苦しくなる。私はかつて馬鹿だったから不幸せだったのではなく、不幸にもバカになれていない痴れ者だったのだと最近になってようやく気付いた。
バカだなあ。もったいないことをしたなあ。まあ、これからバカでいよう。もっともっと幸せになってやる。

その調子で、明日も運動をして、それこそバカみたいに文章を書き散らかして過ごす予定。
せめて自分のスタイルだけでも確立しなければ話にならない。



欲しいもの


私が本当に欲しいものって何だろう。
ここ数ヶ月、ずっとそんな事を考えている。
即物的な話、お金があればほとんどの物は手に入る。実際、買い物は嫌いではない。服でも本でも、手仕事も映画も旅行も、お金が無ければ好きなようにはならない。
でも、必要な物と欲しいものは必ずしも一致しない。となると必要な物とは?という新たな疑問が生まれる。
ああだこうだと迷走し試行錯誤を繰り返して、最近、何となくわかって来たのでここに書き留めておく。
欲しいものは必要な物。
必要な物は欲しいものとは限らない。必要は必要。それだけ。
後者は至ってシンプルだけど、前者はなかなか難しい。他者への説明も、自己弁護も。
物質に限った問題でも無くて、人に対しても言える事かもしれない。女友達が欲しい、ちゃんと一生を考えられる恋人が欲しい、大切にしたい。今、縋れる人が必要、でもきっと要らなくなったら面倒。冷淡な本音。どちらもあまり望まないけど。
本当に欲しいものは、お金では絶対にどうにもならない。そんな単純な事実に、しょっちゅう打ちのめされる。買い物なんて虚しい。でも何か理屈でなく、飢える程に必要性を感じるのだ。

たった一つ、本当に欲しいものは何なのか。どうしても知りたい。たとえ得られなくても構わないから。



ただの痴話げんかのお話



反対意見で論議していて「あなたの言うことも分かります」という対応をする場合、大抵は言葉通りに受け取らない方が良い。

「分かるけどね、でもね……」というエンドレスというかループの始まりの鐘が鳴ったと捉えた方が懸命ではないか。

たとえば、死刑制度について。
賛成派が、
「あなたの子どもがもし酷い目に遭って殺されたとして、それでもあなたは加害者を恨まないのか。死刑を望まないのか」
と憤りつつ問い掛けたとする。
反対派は、
「その憎しみは分かります。分かりますけど、憎しみは何も生まないし、加害者を殺しても被害者は帰って来ない」
となる。
そうなるともう、「分かっていると言いながら分かっていないんだろう」と痛いところを突かない限り果てしない水掛け論。
だからと言ってどちらも間違っていない気がしてしまうのが第三者のぼんやりとした印象だろう。傍観は安全だし、何より面白い。それだけではいけないと分かっている、分かっているけどね……でもね……。

たとえば、ルール違反に対して注意した人間が暴行を受けた場合。
多くは、
「正しい者が馬鹿を見る世の中になった。嘆かわしい。酷いことだ」
と、それこそ正論を口にする。
しかし一方で、
「分かるけど、正しいだけではやっていけない世の中だなんて今更周知の事実。殴られた方もそれぐらいの覚悟が必要は当然しておくべきだった。被害者かもしれないけどこれは口を出した方も悪い」
こんな異論が出る現代。
本当に嘆かわしい。酷いことだ。
と、第三者ながらはっきりと思う。
両成敗ですらない。
何故か?
後者は価値観の変化こそが正義だと信じているのではないだろうか?
自分の意見を持っているのが強いと主張したいだけではないだろうか?
多勢に対して無勢であればあるほど、真実に近いのだと錯覚してはいないだろうか?

思想の問題ではない。
行動の過ちを指摘されたら謙虚に受け止める、これは普遍的なことだろう。
時代も情勢も関係なく、忘れてはならないことがある。

それでもこの場合は殴りたいと思うのなら、殴ればいい。
ただし言い訳は出来ない。
それが一個人の選択なのだから、気に入らなかった理由とか、自分なりの理屈とか、述べ立てずにただ一言でまとめるべきだろう。
殴りたかったから殴った。
その一言以上は不要である。
それが不満なら、そもそも殴るなと言いたい。


ただの愚痴。


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写真は近所のラオス人夫婦。歳をとってもキスできるような関係、とても微笑ましい。素敵。