キシキシぷらむ視界

だらだらと長いだけの日記と、ちょこちょこと創作メモのような何かがあるブログ。

最近の


異様な眠気が毎週半ばに襲って来るので、それに対抗すべく策を練った。
まず、ドーパミンを出しまくる。ドーパミンについては未だその仕組みなどが完全には解明されていない様だが、とりあえず動けば分泌されるものらしい。
という訳で、お茶のティーパックがお湯をたゆたう間、軽くストレッチ。朝一番から右足の甲がつる。その痛みで眠気も吹っ飛ぼうというもの。
そして歌を歌った。自慢ではないが私は酷い音痴である。それでも歌は好きだ。だから歌った。鬱ソングとも言われる「アンインストール」を。
そして、お茶を飲みながら読む本(スマホでSS)は小難しい内容を避け、逆に抱腹絶倒なチョイスで行くことに。これは良い。我ながらこれは良い策だと思う。

最近の出来事といえば、ぱっつんと切ってある前髪が邪魔に思えてカチューシャを購入。
ああ、カチューシャ……!本当にファッションって巡るのね。またあなたに会えるなんて!
嬉々として着用する朝はまだ良い。昼頃からじわじわと痛くなってくる。何故かと言ったら、眼鏡も掛けているからである。これはもう疑い様も無い。

日常生活で眼鏡を外す時と言ったら、読書する時、携帯を弄る時、編み物など趣味の手仕事をする時、入浴時、ストレッチタイム、寝る時、ぐらいだろうか?
……何だか晩年の様だ。いや!本と眼鏡はワンセットだからそんな筈はない!(偏見と趣味)
まあ、そういう訳だから、それ以外で物事に集中していない間は慢性的に痛い。類を問わず作業に没頭していれば痛みを感じていても気にはならない。
さてどうしたものか。
カチューシャ、可愛いしなあ。
どちらかを選ぶのは難しいなあ。
…しかし私は苦悶した末、試行錯誤の道を行き、どうにかこうにか痛覚を刺激しないカチューシャと眼鏡の両立法を体得した。ちょっとカチューシャを斜め向きに着ける。そして眼鏡を掛ける。カチューシャの先端と眼鏡の間に隙間が出来る様に調節する。
以上。

要するに、耳の裏の骨に何も当たらなければ痛くない。
ただしカチューシャがずれるとたちまち苦痛が襲って来るので、ピンで留めるのも忘れてはならない。

お洒落とは難儀なものだなあ。多かれ少なかれ手間を取るもの。それを惜しまず慈しむべきもの。そういえば恋に似ている。と言ってみたかっただけ。

ちなみにカチュームはどうしても偏頭痛とは異なる頭痛を誘発するのでパス。そうでなくても今の髪の長さからしてカチュームは選択肢に未だ入れられないものと思われる。
それにしても「カチューム」なんて名称、最初に考案したのは一体どちらのどなた様なのだろう。天才です。案外はじまりはダジャレだったのだとしても。
昔はヘアバンドと言っていたはず。「ヘアバンドの、ほら、あの、ゴムの方ね(カチューシャと区別する為の苦肉の策ともなり得るフォロー)」などというまどろっこしい物言いは珍しくなかった。私だけでしょうか、いいえ、誰でも。