キシキシぷらむ視界

だらだらと長いだけの日記と、ちょこちょこと創作メモのような何かがあるブログ。

うさぎさん飼いたい病


第43次(適当)うさぎさん飼いたい病に罹患中。

うさぎ、飼いたい。うさぎを飼いたい。
ああもう、うさぎを飼いたいうさぎと暮らしたい。

と言う私はうさぎを飼ったことは無い。
だからこその憧れでもある。
うさぎ、良いなあ。良いだろうなあ。

ちなみに犬なら幼少期に飼っていたことがある。
佳祐という凡庸な名前に相応しくない程に賢く勇敢で、愛くるしいビーグルであった。
海外での生活を余儀なくして実家を出て以降会っていないが、佳祐との思い出は今でも鮮明にこの胸に蘇って来る。
犬も良い。犬も可愛い。
でも佳祐以上の犬はこの世のどこにも決して存在しまい。
だからという訳ではなくても、うさぎ。
ああ。うさぎ。待ち人はうさぎ。

上手く言えないので誤解を恐れず率直に書いてしまうが、今は恐らく、自分の思うがままにならないことをしたい時期なのだと思う。
現在では自分のことさえ考えていれば良い。実際、それで精一杯。
気ままでもあり、でも無責任という状態を持て余してもいて、どうにも具合が良くない。
だから、生き物を相手にしたい。
これはもう弁解のしよも無いエゴそのものだ。
が、実際に佳祐と過ごした日々を振り返れば、子どもなりに責任を感じて生活していたのも嘘ではない。
現状、一人暮らしでうさぎを飼ったら、それはとても大変なことになるだろうと容易に想像はつく。
うさぎと同居という生活だけでも、環境や意識の変化は絶大だろう。
そしてうさぎの為に割く時間、お金、体力、気力、その他もろもろ。
たとえ相性が悪くとも、気に入らないからと一個の命を簡単に放り出せる筈もない。
私が体調不良で寝込んでも、うさぎの世話を放棄する訳には行かない。
だが、あえてそういうことをしたい。
自分の持つ自由や情を何かに使いたい。
繰り返すが、本当に人間の、そして私のエゴなのだ。書けば書くほど痛感せざるを得ない。
それに付き合わされるうさぎは気の毒としか言い様がない。

まあ、今の住んでいる寮はペット禁止なので、今すぐにどうこうという事は出来やしない。
だから、とりあえず植物でも育ててみようかなあ、と考え中である。
これもやはり命だから、大事にしないとすぐに枯れて儚くなってしまう。
うさぎと植物では、いきものとして感じる確実さが随分異なるだろうが、それでも自分の意思で選んだひとつの命であることを重々承知して、右往左往したい。

3人で一部屋に住んでいるので、屋内の端に鉢を置くか、もしくは窓の柵に吊るすことになる。だとしたら、ともかく最初の一歩は部屋の簡単な配置替え。
以上の理由から、明日より整理整頓期間に入る予定。あくまで予定、つまり未定。
編み物もしたいしね。これは命ではないけれど、思うがままにならないという点では似ていると言えなくもない。やや苦しいが。