キシキシぷらむ視界

だらだらと長いだけの日記と、ちょこちょこと創作メモのような何かがあるブログ。

胸中


あなたの過去になんて、誰も興味を示したりしない。
他人がわかるのは現在のあなただけ。
それを見て、あなたの過去は幸せなものだったのだろうと、そう特に深い意味もなく想像することはあるかもしれない。
あなたは幸せに生きてきたのだね。
率直にそう言われて、どう感じ、どう答えるかは、あなたが決めればいい。

何となく、ふとそんなことを思った。
そのとき鏡の前に立っていたので、あなたというのは、つまり私のことだろう。
ここ数ヶ月間、近くにいる人と幸せについてぼんやりと語る機会が続いた。

人と言葉をかわすことで何かがどんどん開けている気がする。
少なくとも私はそんな気がする。
自分の中でじっと考えこむことも好きだけれど、顔と顔をあわせて話し聞く楽しさも相当に捨て難い。それそのものがひとつの幸福だ。

結論が出たわけではない。
そもそも、そういう類の主題でもなく、手法でもない。
互いの感覚や価値観のようなものをほんのちょっとでも知るきっかけに過ぎない。
あなたと関わっていたいのですよと信号を送り届けられたのなら上等といったところ。
大切なのは、導きだしたものではなく、下じきになっているものの方かもしれない。

得体のしれない、つかみどころのない、一人ひとり違う、けれど良いもの、大切なものという認識だけは共通している、幸せなる概念。
わかりやすそうなところで例を挙げると、結婚。
周囲は基本的に祝福をする。幸せを願う。
しかし、まったくの他人であるふたりが人生を共にしようとするなら、自分だけの幸せは捨てなければならないだろう。
その尊い犠牲の末に、ふたりの幸せをつくりあげていくことになる。
こんなに簡単なことではないだろうが、とりあえずざっくりと考えて、そうだとすると結婚とはなんて創造的で意欲や可能性に満ちたものだろう。
にわかに結婚してみたくなった。ほんの一瞬。
というのは、結婚という制度を使わなくても構わないのではないかとすぐに自問しはじめたがため。
もともと私は、幸せになるために異性が絶対に必要だとは思っていない。
それ以外に様々な事情があって、結婚をするという選択肢を放棄している。
恋愛対象は恐らく異性だが、幸せを分かつ伴侶という広い意味では、同性が相手でも何も不思議なことはないと考えている。
それが圧倒的に少数派であることも自覚している。
そして幸せの反対は不幸でもない。
現在のところ、これという人はそばにいないが、私は充分に、本当に幸せだと、日々、感じている。
さみしいことも悲しいことも退屈さもあるけれど、いつだってそれを上まわって幸福にたちもどる。
自己満足ではいけないのだとしても、感情まではだませない。

だから、私が誰かに、あなたは幸せで恵まれてきたのだねと言われたら、おかげさまで、と笑顔で応じることだろう。
皮肉や嫌味が真意だとしても、それに流されないくらいには強くなった。
一方で、私は不幸なのだと嘆くことは、プライドが許さないというややこしさもある。
ただひとつ、幸せから遠くかけ離れているものが私にあるとしたら、親になれないことかもしれない。
少子化と騒がれているけれど、実際に減ったのは子どもではなく、親になれない大人のほうではないだろうか。
それは不妊という問題ではなく、肉体的に出産は可能でも精神面ではそうではなかったり、理由はあるにせよはなから子を持つことを拒んでいたり、そういった本来は不足すべきでないところがどうしようもなく欠けている大人のことだ。
私は後者に該当する。また、前者でもあり得るかもしれない。
大人であるのに親になる覚悟を育めていない、そんな未熟な人間であることは、確かに不幸なことだろう。
今ある安寧を守るために、この惨状から目を背け逃げつづけている。
せめて、こうして、この不幸というものに罪悪感だけは保っていなければいけない。
だからこそ、これ以上の幸福を求めてはならないと制限をかけているきらいもある。
幸せであることを許されているのだと思いたい。

と、幸せについて語ると本当にきりがない。
だから答えは出ない。
いつも明確にあらわせるのは、自分がどんなものさしを持っているか、それだけ。
そして、それは私の、私だけの手づくりのものなので、他の人の幸せをはかることは決してできない。

こういうことを考えたり話していると、何かが私の中から出たがっている気配にはたとまたたく。
どういう理屈かはわからない。が、あざやかなまでにそれを感じる。
芽吹き、息吹き、この世界に確かに存在し、生きたいと叫び、あがいている。
それは、もしかしたら、私自身が生涯でひとつ何かを成し遂げたいと絶対的に切望していることの暗喩なのかもしれない。
また、そうではないかもしれない。
とにかく、私の幸せというものと関係がありそうだと予感はしている。
もどかしくなる。こがれる。普段よりも更に、ずっとずっと落ち着かない。
でも、悪い気分じゃない。
不可思議なことだが、実はひとりではないことにも、けれどひとりにもなれることにも、どちらも怖くないことにも、同時に気づくのだ。