キシキシぷらむ視界

だらだらと長いだけの日記と、ちょこちょこと創作メモのような何かがあるブログ。

ピアス



赤いピアスがいいと思った。

服にあわせて毎日ピアスをつけかえる。
そういうことが何だかとても面倒になってしまって、とある方から頂いた小さな青のピアスをずっとつけっぱなしにしていた。
が、はっと気づいた時には、片耳からこぼれ落ちてしまっていた。
けれど、この時はその人と絶縁状態にあったのであっさりと諦めがついた。ただ、贈りものだったので申し訳ない気持ちだけが残った。

そこで、次は赤いピアスがいいなと思ったのだ。
基本的に24時間つけっぱなしで、それでも邪魔にならないもの。
となるとサイズはもちろん小さめ。梅仁丹ひとつぶか、通常版フリスク(以前、まだらなピンクで染まったローズ味があった気がする)に幾分か届かないくらい。フリスクネオは論外である。
赤といっても様々な濃度があるけれど、ぱっと見てそうとわかれば充分。
何よりかにより、安物を。
心身共に伏せてる現状、何事にも当てはまるのだが、またなくしても無為に恐怖したり落胆しないように、それが寿命なのだと思えるように。いくらでも替えがきくものであったら尚のこといい。
日常で気をつかわない、いわば消耗品として扱うのだから、あまり大切にしたくなるようでは困るのだ。そう何事にも。

あの人ってさ。
誰?
あの、ほら、赤いピアスの。
ああ、あの人ね。

そのくせ、そんなふうな会話がかわされたらなとも夢想した。
ピアスひとつで自分を記号化するというのか、あわよくば象徴にでもなってくれるのなら、たいへん都合がいい。
私もそのピアスと同じく、何度だって替えがきくのだと思いたい。
もちろん悲観的な意味だけではなく、今日なくした自分が、明日、まったく別のものとして存在できれば、それがいい。

よく言われることだけれど、人間をかたちづくる細胞なんて、24時間を待たずしてまったく異質なものに生まれ変わっているのだ。
さいわいなことに、そのうつわはなかなか壊れやしない。
心臓がとまるその日まで、失われるということが絶対にない。

ただ、私を私たらしめる何か(だれか)はしょっちゅう消えるし、戻ってくるし、ごく短い死を迎え、ふっと目ざめて、遠く永く漠とした先ゆきをおもう。
かけがえのないものになりえることなどないのに、どこかで普遍を求め、しかも、信じてさえいる。
そういう矛盾がいともたやすく許されてしまうことを。
実は連続の重みからいつでも自由に逃れられることを。

しかし、である。
いざ探してみると結構みつからないのだった。ただ赤くて安いだけのピアスが。
あまり真剣に求めてしまうと、もともとの意図からはずれることになる。まさに本末転倒。
ちょっと歯ぎしりする気分になった結果、いま、私の耳には赤いピアスがある。
つけはじめてから3日後に、はずれにくいキャッチを別途で購入した。シリコンがパラポラアンテナのように広がっている、ちょっと面妖なそれを見て、やっぱり何だかこういうことになるんだなと妙に自分のことで納得がいった。

ところで、何故、赤なのか。
私にしては珍しく簡潔に答えておきたい。とりあえず、今のところは。
もう青なんてうんざりだから。
単純に、ただ、そうとだけ。

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