キシキシぷらむ視界

だらだらと長いだけの日記と、ちょこちょこと創作メモのような何かがあるブログ。

夏が終わる。



夏が終わる、9月でおわる、と一言日記において指おり数えるように何かと呟いてきた。
もうすぐその日である。
別れのときである。

日本の四季のなかで、さようならをこれほど強く意識する時節が果たして他にあるものだろうか。
少なくとも私は春にも秋にも冬にも、こんなにもきっぱりとした境界を感じない。
とはいえ、夏にも、はじまりは、そういえば特におぼえがない。
もう夏なのだなあ、とまばゆい日射に漠然と気づかされる。それが春であれば花の景色であり、秋ならば身にまとうもので、冬となると口から立ちのぼる呼吸の軌跡だ。そうやっていつの間にか変化していたことを知る。去ってゆくときも同様だ。
ただ夏は、夏だけは、妙にきちんと終わるのだ。
私の意識では9月をもって。

何故なのかとなかば呆然としつつ考えた。
日本中の子どもが、ある一定の年ごろから、ほぼひとしく、どうしようもなく分かちあう確固たる連休、夏休み。年によっては31日が週末に差しかかり、新学期が9月2日、あるいは3日からとばらつきがあるがそれはさておき。夏は8月31日で終わり、そこからは徐々に秋の模様が色濃くなっていく。そういう考えの人が多いかもしれない。
だが、ただ感覚が、9月のおわりというこのときこそ夏の終わりだと叫んでいるのだ。それがすべてで結局、理屈ではないのである。

夏だと意識した瞬間から、最近今日まで私がしたこと。
つまり、この夏の記憶を語ろうとすると、無為に長くならざるを得ない。季節のせいではない。私だからである。
が、少しくらいはあがいて、簡潔さに挑まんとしよう。

この夏はなかなか印象的な出来事の連続だった。
個人的な複雑な事情も相まってとにかくよく頭に血がのぼる日々を過ごした。
しかしその分コミュニケーションを取る安心感を覚えた。バンコクの猛暑の日々に。後半は台風の影響でくもった部屋で。ほっと一息つく涼しげな晩、汗をふきながら顔をあわせ、ほかほかのiPhone越しに、そして寝ころがってのLINEで。
わけても得がたかった喜びは、会って、話す、ということ。
メールや電話、SNSの類いも近代的な産物だが、じかに視線をかわして語ることは大昔から続いてきた知恵なのだなと深くふかく実感した。
便利であればあるほど簡単になり、消費から浪費への移行もとてつもなく素早い。私自身がついてゆくことはとてもとても出来ないほどに。通話を切ったあとの渇きは苦しい。

ひとに相談をすること、聞いてもらうこと、教えてもらうこと、そして自分なりのやり方を模索すること。

LINEに電話、メールもまずまず悪くはないが、すぐ目の前にそのひとがいる状態でそれらをはじめることが、私は本当に好き。
ということを、知った。
そうすると、感謝や、申し訳ない気持ち、大切にしたいもの、自分の未熟さ、弱さ、強さ、ずるさ、譲れないところ、そういった感情とか性格、信条めいた何かがどんどん明るみに出て、ひとりでは生きていけないなと唐突に腑に落ちたりもしたのである。
私が私らしくあるためには他人が絶対に必要で、より私らしくなるためにも、間違いなく他者という存在は不可欠。
極論になるが、本当にひとりなのなら、存在していなくても良い。
存在しているのならば、ひとりではない。

その間には苦しい離別があった。それは意志の外で成った。
多くの意味で動いた夏だった。

言ってしまえば10月からだって9月の終わりのつづきとしてさしたる変わりもない。
私はまた同じように失敗し、やり直し、くりかえし続けるだろう。
それでも、なお、言う。
あと2日で夏は終わる。
年中夏と言われるバンコクでもあと2日後からはすべて夏のなごりだ。
たとえ気温が35度になろうとも、夏服のままでも、熱帯夜が訪れようとも。
逆説めくが、季節がひとつ過ぎ去ったくらいでは私はびくともしないので、また来年まで、と笑って手をふることができるのだ。

やはりとりとめもなく冗長になった。
きっとこれが感傷というものなのだろう。否。否である。
何に左右されることなく、ただ淡々と連綿とつらなり途切れないものがある。たとえばそのひとつが、生であり、私である。

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