キシキシぷらむ視界

だらだらと長いだけの日記と、ちょこちょこと創作メモのような何かがあるブログ。

あけましておめでとうございます、2015。

遠くで聞こえるラオス音楽の重低音、パチパチと上がる花火の音、夜独特のそこそこの静寂のなか、年越しを待った。
修練所に来て二度目の大みそか。

来年はどうだろう。
まだここにいるのだろうか。
こんな夜を過ごすのだろうか。
大勢だけど、ひとり。ひとりだけれど孤独ではない。さみしいこともあるけれどそれも悪くない。すべては自分の選択の末のことで、私はとても自由だ。
今の自分を適度に大切にして、人の記憶のうちにあることを喜び、感謝し、何らかのかたちで報いることができるようになっていけるのならば最善。

昨年は人とのつきあい方や距離感のようなものを理屈であれこれと考え、実際に試行錯誤する機会に不思議と恵まれた。
まだまだ足りないことばかりで、ちょっと油断するとあれよあれよと他人に負担や心労を強いてしまう。
両親の教えの最たるところが「人に迷惑をかけない」であったというのに、その正反対の道をゆく不出来な娘です。たいへん申し訳ない。
すったもんだのあげく、ややとりかえしのつかない事態になっても、実はそれほど罪悪感はない。それどころか、得るものの多さ、その多彩なことに感嘆を禁じ得ない。
もちろん、相応の対価は支払わなければならない。まったく失わずにということは不可能だろう。その覚悟だけはしっかりと常に自分に言い聞かせて、また不器用ながらにひとと関わっていく。エゴにまみれながら。
だからこそ、ありがとうと伝えたい。
かねてよりすみませんが口癖の私であったが、ここ半年はすみませんよりもありがとうを多く口にするよう心がけている。
その場にふさわしい言葉であれば、ありがとうを最優先。ごめんなさいとすみませんはその後、といっても臨機応変のこころも忘れずに。

いつもありがとうございます。
もろもろ滞っていて、ごめんなさい。
マイペースですみませんすみません。
けれど、とにかく、どうもありがとうございます。

どうか皆みなさま、良いお年をお迎えください。
あなたの願いが叶いますように。努力が実りますように。待ちびとが来ますように。一秒でも長く笑顔で過ごせますように。しあわせな気分でありますように。

昨年はおつきあい頂き、本当にありがとうございました。
今年もどうぞよろしくお願い致します。

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ラオスの初日の出と、るびぃちゃん。