キシキシぷらむ視界

だらだらと長いだけの日記と、ちょこちょこと創作メモのような何かがあるブログ。

点と点をゆるゆると


ゆるゆる歩きながら、シャワーに当たりながら、食事をしながら、妄想をする。
瞑想などとうそぶくまでもない。作業のかたわらに常にさまよう残像がある。
可能であればノートに書き留める。
点と点がどうにか波線ででもつながらないものかとペンの頭を噛む。あるいは手縫いの糸のあとのようにだってかまわない。
もつれているところまでは来ている。それは漠然と感じとれる。後はつたなくても、たぐれるようになるだけ。

突然、かなった。
朝目覚めて布団の中で微睡んでいる時のことであった。
どうでも良いが冬の朝、凍るような寒さが何より苦手だ。体温を纏った布団から出るただそれだけのことに毎朝たいへん苦しむ。布団を出るこの為だけに執事をひとり雇いたいほど。
そんな調子で毛布からひょっこり足先を出してみたり返したりもぞもぞと意味のない動きをしていたのに、突然、脳裏であらゆる断片が収束された。
動きをを止めて、しばらく呆然とした。

というわけで、後はその、そこそこまとまった妄想を文章にしていくだけ。
衝動、焦燥、高揚感、浮き足立ち、飛躍する。夢をみる気分はいつもふわふわと心地よい。でもここからがまた一苦労なんだよ、とも、冷静な部分で痛いほど理解している。

Twitterのフォロワーさんでも、創作の準備をしておられるとか、その概要をちらりとこぼして下さっているのを覗くともうじっとしていられなくなる。待てません!と編集担当者きどりで急かしたくなる(すみませんすみません。やりません)。
いま、自分自身に対しても少しだけそんな気分。

14歳のころの私よ。年明けにして君をおもう。
あのころの身のほど知らずで根拠のない自信と勢いと大胆さと、そして罪深いまでの貪欲さ。
どうか、完全にはなくしていないように。奥の底のほうでくすぶっているように。惰眠が暁をおぼえるように。
自己満足を肯定できるように。他の誰でもないこの私だけは、笑い飛ばして、おもしろがることが、どうかどうか、できるように。


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