キシキシぷらむ視界

だらだらと長いだけの日記と、ちょこちょこと創作メモのような何かがあるブログ。

馬鹿というよりバカ


人間、バランスの取れた生き方をするには、馬鹿になれなければ駄目なのかもしれない。
ふとそんなことを思った。

ここで言う馬鹿とは、私が嫌いな類の馬鹿ではない。情報の取捨選択が出来ない馬鹿、他人の価値観を否定しか出来ない馬鹿、自己批判が出来ない馬鹿、想像力を持てない馬鹿、総じて非常識な馬鹿という意味ではない。
言い換えるなら、何かに没頭している状態の馬鹿。馬鹿というよりバカ。そんな感じだろうか。
とにかく、幸せなバカのことである。

その代表格で最も分かりやすい例こそ、オタクだと私は思う。
二次でも三次でも何でも良いからとにかく全身全霊と全財産、ひいては全存在を注ぎ込む。否、捧げる。オタクは対象に殉じてこそなのである。
頭の中はそのことで一杯かと思いきや時に訪れる賢者タイムも何のその、それすら自虐的なオタクの証として誇って良い。
何をしていようといまいと最終的に常に精度と練度を上げ続けている。
365日24時間がオーディション、それがオタク。
ここまでバカだと人間が出来てこようというもの。世界に対して無関心になるのではなく、逆に以下にしてこの世界でオタクを極めるべきかアンテナを張り巡らせているから感受性も鋭くなる。一見空気が読めない風に見えることもあるが、その実、引き際を心得ている。
オタクの幸福でバカな時間がとこしえである。待つのも愛。焦燥感は情熱となり、よって真のオタクは急がない。縁というものを熟知し、大事にしているからだ。

現世でのしがらみと己の努力の間にどれほどの隔たりがあろうと、決して絶望することはない。時に失望を味わいはしても必ず立ち直り、また歩き出す。
潔いけれど諦めない。足掻くことを恥としない。求めることがみっともないと知ってなお、求めずにいられない。
バカだ。猛烈にバカだ。
だが、とても人間らしい。
両極端に立てる精神の均衡を備えたバカ、それが本来の人間のあるべき姿ではないだろうか。

真面目に生きるのも勿論悪くはない。しかし折れることを知らない頑なさは傍目に見ても悲しい。不器用で愚直な人間はいとおしいけれど、一切の楽しみを罪だと断じる輩は救えない。
バカな夢を慢性的に見ていられるバカさ加減が大切だと思う。バカだな、自分、と笑えるように。
テンションの浮き沈みが激しい時は特にバカになると良い。もっと若い頃に人間関係の中でバカになれていたら……と逡巡すると胸が苦しくなる。私はかつて馬鹿だったから不幸せだったのではなく、不幸にもバカになれていない痴れ者だったのだと最近になってようやく気付いた。
バカだなあ。もったいないことをしたなあ。まあ、これからバカでいよう。もっともっと幸せになってやる。

その調子で、明日も運動をして、それこそバカみたいに文章を書き散らかして過ごす予定。
せめて自分のスタイルだけでも確立しなければ話にならない。