キシキシぷらむ視界

だらだらと長いだけの日記と、ちょこちょこと創作メモのような何かがあるブログ。

そらのうた


BUMP OF CHICKENの、とりわけ空を描写した歌に惹かれるのだなと気づいた今日このごろ。
「(please) forgive」とか「beautiful glider」とか。
様式美としてここで3曲目を並べ置きたいのだが、ひたすら記憶を探って出てきたのが「ベンチとコーヒー」とはこれ如何に。いや、とてつもない個人的見解においては、ほの白い寒空の下で繰り広げられる情景の断片が浮かぶのでさほど間違いではないのかもしれないのだけれど、他者の賛同はなかなか得がたかろう。

ここからはちょっとした自慢まじりの小咄。
かつて「真っ赤な空を見ただろうか」をはじめて聴いた時に、ふっと頭に浮かんだ友人がいた。
そのことを伝えてみたところ、私は「stage of the ground」がすごくあなたらしいなあと思うのよ、などと、バンプのメンバーさんにだけは知られてはならぬとばかりにもったいなさすぎるお言葉を頂戴したことがある。
偶然にも、どちらも空を謳っている感がある。それとも必然なのかな。

しかし、こうやって並べると、なんだろう……どちらも好きな曲なので嬉しいのだけれど、なんというか、そんなに私って迷いが深い人間に見えるのだろうか。
まあ、ストラビンスキーなどの不協和音にたとえられたらそれはそれで反応に困るのでやはりありがたく思うのだけれども、どうにも彼女たちの洞察力には敵わなくてちょっと悔しいな。
実際、いま「(please)forgive」「beautiful glider」の歌詞に癒やしてもらったり打ちのめされたり、頭と心が慌ただしいので、時としてどうにもふらふらしているのは事実なのだ。

バンプで空の曲といったら「天体観測」があるじゃないかと今になって最も有名であろうところに一周巡って辿りついたところ。

ぜんぜん関係のない話になるが、
forgiveは、与えて、許す。
forgetは、得て、忘れる。
語源や言葉の成り立ちが気になって仕方がない。
何を与えたら許すことができて、何を得たら忘れられるのか。どんな知恵がここに巡っているのだろう。


ロストワンのほにゃらら



映画などで科学者や数学者の役どころにある人が唐突に思いついて図書館やら寮の窓やらに公式を書き始めるとたちまち14歳のこころを刺激されほれぼれとしてしまうのだけれど実際に目の前でやられたら果たしてどう反応すれば良いのかとか、仕事あがりに一杯というくだりでスーツ姿の男性が失礼と一言ことわった上でネクタイを緩める仕草に当然の如く萌えるもののこれの女性版といったらさて何だろう……シャツの第一ボタンを外す……違うな……今の時期ならスカーフやストールをするりとほどく……うーん……イヤリングをはずすのは帰宅時限定という気がするしピアスが多数派の現代では若干の違和感がぬぐえない……あえて何もしないどころかまったく隙を作らない姿にこそかえって萌えはあるのかもしれないとか、人間は子どもになる前に大人だった時期が一瞬あったのではないかとか、そんなことをつらつら考えながら生きている、ぷらむです。ごきげんよう。


つまりは更新停滞の裏で普通に過ごしております。前回の記事からちょうど3ヶ月。陳腐な言いぐさですが早いものです。
とにもかくにも、今週末か来週あたりに更新再開の予定です。最近久々に書いている創作文をうpする。たぶん。このお休みの間に何通かメッセージを頂戴いたしました。ありがとうございます。お返事はもうしばらくお待ち頂ければ幸いです。


ところで数学者がどうのと冒頭に書いたけれど私自身はあまりにも短絡的な文系ゆえ何が何だかさっぱりなのよね。国語と美術は好きですが理数はどうもダメで嫌いでした。正しい数式を思い出そうとして悩んでいりゃどれも記憶違いというオチでした。
初音のミクさんを差し置いてリンちゃんに夢中になるこの定期的な現象に名前をつけたい。


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季節外れですが毛糸でモノを作り上げるのにはまってますという近況。



ピアス



赤いピアスがいいと思った。

服にあわせて毎日ピアスをつけかえる。
そういうことが何だかとても面倒になってしまって、とある方から頂いた小さな青のピアスをずっとつけっぱなしにしていた。
が、はっと気づいた時には、片耳からこぼれ落ちてしまっていた。
けれど、この時はその人と絶縁状態にあったのであっさりと諦めがついた。ただ、贈りものだったので申し訳ない気持ちだけが残った。

そこで、次は赤いピアスがいいなと思ったのだ。
基本的に24時間つけっぱなしで、それでも邪魔にならないもの。
となるとサイズはもちろん小さめ。梅仁丹ひとつぶか、通常版フリスク(以前、まだらなピンクで染まったローズ味があった気がする)に幾分か届かないくらい。フリスクネオは論外である。
赤といっても様々な濃度があるけれど、ぱっと見てそうとわかれば充分。
何よりかにより、安物を。
心身共に伏せてる現状、何事にも当てはまるのだが、またなくしても無為に恐怖したり落胆しないように、それが寿命なのだと思えるように。いくらでも替えがきくものであったら尚のこといい。
日常で気をつかわない、いわば消耗品として扱うのだから、あまり大切にしたくなるようでは困るのだ。そう何事にも。

あの人ってさ。
誰?
あの、ほら、赤いピアスの。
ああ、あの人ね。

そのくせ、そんなふうな会話がかわされたらなとも夢想した。
ピアスひとつで自分を記号化するというのか、あわよくば象徴にでもなってくれるのなら、たいへん都合がいい。
私もそのピアスと同じく、何度だって替えがきくのだと思いたい。
もちろん悲観的な意味だけではなく、今日なくした自分が、明日、まったく別のものとして存在できれば、それがいい。

よく言われることだけれど、人間をかたちづくる細胞なんて、24時間を待たずしてまったく異質なものに生まれ変わっているのだ。
さいわいなことに、そのうつわはなかなか壊れやしない。
心臓がとまるその日まで、失われるということが絶対にない。

ただ、私を私たらしめる何か(だれか)はしょっちゅう消えるし、戻ってくるし、ごく短い死を迎え、ふっと目ざめて、遠く永く漠とした先ゆきをおもう。
かけがえのないものになりえることなどないのに、どこかで普遍を求め、しかも、信じてさえいる。
そういう矛盾がいともたやすく許されてしまうことを。
実は連続の重みからいつでも自由に逃れられることを。

しかし、である。
いざ探してみると結構みつからないのだった。ただ赤くて安いだけのピアスが。
あまり真剣に求めてしまうと、もともとの意図からはずれることになる。まさに本末転倒。
ちょっと歯ぎしりする気分になった結果、いま、私の耳には赤いピアスがある。
つけはじめてから3日後に、はずれにくいキャッチを別途で購入した。シリコンがパラポラアンテナのように広がっている、ちょっと面妖なそれを見て、やっぱり何だかこういうことになるんだなと妙に自分のことで納得がいった。

ところで、何故、赤なのか。
私にしては珍しく簡潔に答えておきたい。とりあえず、今のところは。
もう青なんてうんざりだから。
単純に、ただ、そうとだけ。

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2015年ラストブログ


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最近念願のうさちゃんと同居はじめました。お久しぶりですぷらむです。

自分に慣れる、ということがあるのだなあ、と。何の前ぶれもなく実感したエカマイ駅への短い通り道。

別に、自分になれる、ほんとうの自分になれる、なりたい自分になれる、などの発想とからめたいわけではない。
ただ文字どおり、自分に慣れた、あるいは、慣れてきたかな……?と、ふいに感じただけ。
変化したのでもなく、成長したのでも多分なく、なじんだ。
納得して受け入れつつある、と言い換えても良いのかもしれない。
でも、やはり、慣れた、という漠然とした表現が一番しっくりと来る。

私はあまり私自身のことが好きではない。
そのくせ、実態をよく分かってもいない。
一応、対外的に何かを始めるにあたり、傾向と対策めいたものを練ってはみるけれど、大抵はうまくいかない。
うまくいかないし、いきっこない、これこそが己が性質なんだろうなあと認めざるを得なくなってからは、ひたすらあがいたりもがいたりを繰り返してきた。
それすらうまくいかない。
けど、意外と頑固なので抵抗はやめない。
途中で、ああ、これが心が折れるということかあ、と思い知って脱力し、うずくまることはある。
もって10日。しぶとくまた暴れ出す。
おとなしく休んで自分を見つめる時間を大切にした方が、少なくとも今はより良いのだよと脳みそは訴えてくるけれど、退屈してしまう。
要するに潔くないので、失敗するとわかった上で試み、案の定、転落する。

そういう自分にあきあきしていたはずなのに、何だか、慣れたなあ、と、思ってしまった。
これは由々しき事態なのか、それともちょっとした好機なのか。
もう改善を放棄するのかと聞かれたら、そうではないと瞬時に答えられる。
と言えること自体、慣れたのだなあ、という感慨に振り返られる。

いつ慣れたのかは知らないのだけれど、慣れる前の私だったら、
「そもそも改善とは何か。全体的なのか部分的なのか。社会的になのか個人的になのか。そして放棄の真意とは云々」
と考えにふけることに時間を費やしたことだろう。しかも無為に楽しみながら。
今はその前に、すっと、「改善は続けます」と端的に答えが出てくる。
それでもこうして「慣れたんだよなあ」とくどくど書きつらねているあたり、我が基本に何らの揺らぎも生じてはいない様だ。

自分の面倒で厄介なところ、できそこないとしか表現できないところ、劣等感、自己評価、それなりの矜持。
すべてまとめて、慣れた。
諦めたので決してなく、慣れた。
という気がしている。
それで何か楽になったかというと、そうでもない。
別に大した影響は感じない。
ただ、「私が私に慣れるなんてあり得るのか」と折りおりに自問してはいる。

もしかしたら、自分をちょっとは気に入ってきた可能性も無きにしもあらず。
それも「そんなことは絶対にないはず」と言い切りたいところなのだけど、もしかしたら、という予感があるので何とも不思議な気分。

これを記してしまうのは相当はずかしいのだけれど、ここまで来たからには書いてしまおう。
慣れた、とはじめて感じた日から、何かの拍子で鏡をのぞいた時、違和感で我に返ることがあるのだ。
結構いい顔しているんじゃないの?
と。
ビジュアルの良し悪しでなく表情の話。
たとえば美容院とか、ジムの鏡などで、そういうことが頻繁に起こる。
以前は、そうした場でうっかり自分の笑顔なんて見てしまうと、美醜以前の問題として落胆したものなのに、今は逆。
自分で見てこうなら、他人が見ている私ってどんな感じなんだろう。
そういうことを、不安や恐れを持たずに、ぼんやり想像することだってできる。

変化でも成長でもないと書いたけれど、これが仮に、そうした類の第一歩だとしたら、ずいぶん長かったし、遠かったなあ。
まさかこうしたかたちになるとは我ながらあまりにも意外な途中経過なのだけれど、でもまあ、自分の思いどおりになんかならないことにも、いいかげん慣れたわけだよなあ。
この慣れの感覚に留まれるかなあ。
それで幸せなのかなあ。
これで満足するのは、何だかちょっと嫌だなあ。
わがままかなあ。
でも油断すると調子に乗りすぎるからなあ。
いつも、ここから、これから、と自分を鼓舞したり慰撫したりしてきたので、もしかしたらそれがあっての今かもしれないし、けど、まあ、慣れた自分に居心地の悪さを感じたらさっさとやり直せばいいだけだよなあ。そういのは得意だしなあ。あ、得意なことが自分にあるだなんて、いつの間にそんなことを言えるようになったんだろう。
慣れ続けるということは、はたして可能なのだろうか。
可能なことだけをする私は、私らしいのだろうか。

そうそう、私らしさというものも、この慣れとあわせて追求したいところ。
慣れたなと思ってからそこが気になってきている。
時節に恵まれた課題である。
一年後、妙に不慣れな自分とわけもなく不器用に奮闘している状況であれば、一番いい。
それこそもっとも私らしい姿なのだと思えてならない。
とりあえず、今の時点では。

皆様来年も良いお年をお過ごしください。2016年もよろしくお願いします。

ベッド上の空論

普段言葉をあまり発さずに溜まったこの感情、感じた事をまたキシキシで吐き出すだけの記事です。少しだけ長くなりますがお付き合いください。

自分なり、というのは、案外よろしくないのかもしれないなと思った。

それは今月のはじめだったか、10月のおわりだったか、そのころに。

自分ひとりのことなら問題はない。

むしろ徹底的に、自分なりのやり方をつきつめていった方が良いのだろう。

でなければ実力というか、できる範囲のことすらわからずに、遠からず途方に暮れることになる。

けれど、人と向きあうなり関わりを持つ時には、それは通用しないと思った方が良いのではないか。

もしかして言うまでもないことなのかもしれない。しかし私はなかなかそれを知るに至らず、妙にからまわってしまっていたのだ。

私は私だとか、これが私だとか、それも悪くないとは思う。でも、ある程度の覚悟は必要なのかもしれない。

「 あなたの言う、あなたの個性や、方法や、信じて譲らないことや、心づもり。それらを私は残念ながら理解できないし、共感もできません 」

と言われても、否定されたと騒ぐようではみっともない。

結局のところ自信なんかまるっきりな無いんじゃないですか?と問われて、どう答えるかが見ものではある。おいしい紅茶でも飲みながらのんびり見守りたい。

とはいえ、大抵の人は、その自分なりをやっているのだろうとも思う。

正確に言うと、自分なり以上のことなんて、そうそう出来やしない。

他人なりをやってみても、きっと居心地の悪さにとらわれるだけだろう。そもそも他人なりとは何だという話になる。

みんな、それぞれ、自分なりの考えで語り、自分なりの言葉で伝えようとし、自分なりのやり方でものごとを片づける。

自分なりの好みで選び、諦め、断り、決める。

人間の数だけの自分なりが世界を構築しているといっても過言ではない。

せめぎあい、ぶつかりあい、それでも何とか折り合いをつけながら、それで世の中がまわっているなら、私が私なりの違和感で杞憂しても仕方がないことなのだろう。

でも私自身は、その自分なりというものをちょっと見直してみたいな、と思うのである。自分なりに。

それほど当たり前のことなら、逆の視点から見つめてみたくなるのである。自分なりに。

今後の人間関係はそれを基にして進めていきたいと漠然と考えているのである。自分なりに。

あまりにも当然で簡単なことほど、疑ってみる価値はあると信じてやまないのである。

自分なりに。

真剣に話をしていても、どうしてか通じあわない、何かしらねじ曲がった論調になる時は、多分この自分なりが、人間の口よりもよほど言葉足らずだからなのかなと、そう感じることがしばしば。

単純に相性が良くないとか、性格があわないということも勿論あるし、どちらか、あるいは両方ともそもそも何か間違っている、その可能性も決して忘れてはならないが、せめて会話の間ぐらいは一抹の希望に賭けておきたい。

世の中には、人間は本質的に分かりあえないものと思っている人がいるという事も理解している。

別にことさら絶望している訳でもなく、ひとりひとり違う存在なので、はたして分かりあう必要があるのかなあ、別に分かりあえなくても共存も共有もできるからなあ、という感じ。とにかくそのあたりを重要視していなくて、それどころか相違が楽しくて面白くて、分かりあう努力なんて何だかもったいない気もする、そんな程度。

一方で私は本質的に分かってほしくてたまらないと思っている類に属している。とにかく分かりあいたくて一心にあがいている。

しかし、上記したような人も存在するということは、ちょっと見落としていたようだ。

私の未熟さが浮き彫りになった瞬間であった。

会話の上で私が持つ希望というのは、それぞれだよねと緩やかに認めあうと言うのか、許容することだった。

後で「あんなのおかしい」と影に日向に言われても別に構わないので、せめて卓を共にしている間は、というくらいのこと。

両者ゆずらずの討論はきらいだ。やはり疲れるし、あまりめでたく集束することもないし口下手だし、もうちょっと勉強して今より懸命になれるまでは控えておこうと思っている。

が、そんな私なりのささやかな望みさえ「分からない、分からないことを分かってほしい?とくに分かりあいたいとは思わない」と断じられるとは予想だにしていなかった。

そこで「分かった、分かりあうために私は私なりを捨てます」とその場しのぎでも言えたらどれほど楽なことか。

そんな嘘はつけないので、私は私で私なりの見解を示したりするから泥沼にはまるのである。

ちょっとだけ賢いふりをしてひととき私なりを忘れ、とりあえず聞くことに集中してみると、その人はその人なりのことしか言っていないことに気づいてしまう。

その人なりなので、本意を語る時の表現も独自のもの。

何を言っているか判然としないので何度も聞き直さなければならないし、八割がたこちらが誤解しているのではと疑い続けなければならない。遂には自虐に陥るほどに。

それではやはり伝わらない。伝わってこない。

汲みとってみて正解だとしても、何か無性に虚しい。

私は、結構、とにかく何かを言っていたい生き物のようだ。

つらいとか、さみしいとか、嬉しさも、よろこびも、愚痴も、心の中に溜めておくだけでは足りずに、どんどん知ってほしくなる。

それはみんなも同じ。

そしてそれぞれに語る手段がある。

会話、文章、歌、ものを作ったり、そこで人生設計を用いる人も、時に暴行に走る人もいる。

ネット上の祭りや炎上に乗っかっての声高な主張に特化した人も、たぶん予想以上に沢山いる。

何であれ、その根っこにあるのは、自分なりの正義を、思考を、努力を、苦労を、願望を、聞いて、知って、わかって、肯定して、というもがきに他ならない。

それを大体みんなが一様に、自分なりの方法でやるものだから、そこかしこに奇妙な対立が起こる。

賛同を求める時に必要なはずの謙虚さがどうにも見あたらない。

理解を求められている側にも、大切にしているものが他にちゃんとある。わざわざTwitterや何やらで口にしてはいないこと、沈黙のなかで守り育てているもの、誰にも踏み入れられたくない聖域がある。

そういうことを明らかにしないことが間違いのもとだとは、私はまったく思わない。

あなたに何かがあるように、私にもそれがある。中身が違うだけのこと。

それがゆえに相手の言い分を全面的に受けいれることはしかねる。

ということもあるのだと理屈でわきまえておかないと、非常にややこしいことになる。

では、自分なりと、その人なりを、なるべく仲よくさせることができると仮定して、そのためにはどうしたら良いか。

ゆっくり時間をかけて考え、思いあたった。

日ごろから引き出しの中身を増やしておくと、ずいぶん役立つのではないか。

自分なりのやり方だけで押し通すことは、いわば、それまでの人生において勝手にぱんぱんでごちゃごちゃになった自分だけの引き出しで勝負するようなもの。

その引き出しをひとり静かに開けて、今後は努めて意識的に、他者の価値観や方法論みたいなものを少しずつ足していく。

寝かせて、なじませ、風を通し、適度に自分のものにしていく。

この引き出しは四次元空間なので、いくらでも入る。遠慮することはない。

時々ちょっと整理をして、何がもとのかたちで残っているか、はたまた変化したかを確認する。

何も起こっていないものは、自分に必要かをよくよく考えて、何なら自分なりに作り替えてしまえばいい。

もちろん、いままでありがとうと捨てたっていい。

引き出しに納めた時点で所有権は我がもの、でも出典への敬意は忘れずに。

ということを繰り返しくりかえし続けていけば、他者を前にしても自分なりのことしかできない人間に遭遇したところで、あまり圧倒されたり揺さぶられたりせずにいられるのではなかろうか。

後は、一応、何だかもうどうしたものかなという様な人の言い分も、最低限は尊重すること。

少なくともその努力はしてみようとすること。

だけど自分にも矜持があることを、決して忘れないこと。何なら相手に忘れさせないこと。

と、つらつら書いたことを試みるには、やはりどうしても他人という存在が絶対不可欠になる。

自分なりというものを作り上げたのは、思いがけず、私ではない多くの誰かなのかもしれない。

ただ私が気づかなかっただけで、存外、ひとの手が相当かかっているのかもしれない。

であればこそ、不器用ながらに、やはりより良いかたちでそれを使いたいもの。感謝をこめて。

でもやっぱりよろしくないのかもなあ。

何だか日和見主義だし、所詮は机上の空論なんだよなあ。(私の場合ベッド上の空論)

要は相手の立場になってみなさいということなのかもしれないけれど、そこの位置でもものを見るときに使うのは他ならぬ私のこの目なので、たぶん違う景色が広がっている気がするんだよなあ。

やっぱり想像力で補うしかないのだよなあ。

それにも限界があるからなあ。そこを越えたら自分がなくなったりしないのかなあ。まあ、今の自分にそんなに未練はない……かなあ。

と、ふらふら迷いながら、地道にやっていくしかない。

結局、自分なりに。

のうとか。


はてなブログ、お久しぶりですね。
月一ペースでちまちま更新しております。


「嫌なことばかり記憶してしまうのは、人間の本能だ」

「危機回避の為ですか」

「そう。あそこに行くと手強い敵がいる、遭遇するのはうまくない、そう思い知って近寄らないようにすることで、自分を守るわけ」

「……すると、たとえば、良い狩り場を見つけたら忘れずにいることも生存に役立ちますよね。対外的には仲間に知らせれば一目おかれるかもしれないし、のちに続く人にも受け継いでいけますし」

「そういう考え方のほうが精神衛生上良いだろうね」

( 出た。お決まりの文句、精神衛生上 )

「でも、本能というよりは知性に近い気もしますね」

「そうだね」

「現実的なことを考えると、悪い感情を良い気分で上書きしてしまいたい……です。良いものがある場所をちゃんと知っておいて、負からの避難所にする、というか」

「それを無理なくやれるようになったら、かなり楽になれるだろうね。でも、まあ」

「なかなか難しいですよねえ」

「心がけとしては良いと思うよ」


数時間後、唐突に気づいた。
ただひたすらに生きのびることと平穏に暮らすことをまぜこぜにして会話していたことに。
どうにも禅問答でおごってしまうこの団体の気質。嫌いではないが好きではない。

はるか昔のことのたとえに見えるようでいて、現代でもごくごく自然に為されている処世術ではあるのだと思う。
ただ、思うほどには、今やそう簡単に飢えたり、ましてやのたれ死ぬことはない。
そうなりそうな状況は世間で呆れるほど起きているけれど、それこそ本能が求めれば救いの道も必ず敷かれている。やや不安定な均衡のもとに。
それは社会福祉や慈善事業の力のおかげでもあるし、医学の進歩も関わってくるだろう。これもまた、良くも悪くも。
だからこそ、とにかく何がなんでもまず生きる、という根本的なことを忘れがちなのではないか。
生きていられることが、とてつもなく当たり前すぎて。
ゆえに私もうっかり生きることをすっ飛ばして暮らすことの方に飛躍してしまったのだろう。我ながら未熟なことである。

言うまでもないこと。
生きてこそ、暮らしがある。
生きることが基本的に、そして社会的に確約されている、そのことに安堵して、さまざまに心地よい暮らしを求めることができる。
「良い狩り場」というのは、栄養のある肉がたやすく手に入るとか、おいしい果実を収穫できるとか、そんな余裕やぜいたくを求めて、しかも大体は得られもする、ちょっと進んだ領域なのだろう。
だから、それを知性と呼んだことには間違いはない。多分。
けれど本能の話からはおおよそかけ離れている。

生存本能は楽や美を求めない。
感性を伴わない。理屈や分別もいちいち問わない。
ただただ死なないために生きる。それだけ。
人間としてそんなことで良いのか。
良いのだと思う。土台を否定すると、崩れ落ちる時は一瞬だろうから。

そして、感情のもとに、今にも死にそうになることも、また決してうそぶいてはならないのだろう。
内なる細胞は生まれては死に死んでは生まれ、分裂し、融合して、宿主が嘆き悲しんでいる間も勝手に生命維持に集中している。
脳は無意識下の思い出や感覚をたよりにして消失願望の核心をはかり、全身に危険を訴えかけ、希望や願望との交渉に急ぎ踏みきる。
知性が本能と複雑に絡みあいせめぎ合う、最たる瞬間のひとつだろう。
最終的には、本能を大切にした者だけが、この世に踏みとどまることが出来る。
死を希求することは知性の一部だが、人を生かすものの大部分は本能。
だとしても、もがいてもあがいても生きていこうと選ぶ意志は、知性の子どもに他ならないのだろう。
繰り返すが、生きてこそ暮らしが、現在が、未来があるのだから。
そうして幸せを探そうとする時、ようやく「良い狩り場」が意味を持ちはじめる。
それを去なす権利なんて誰にもないし、たまにはそこに逃げこんで、揺りかごで眠るようにしたっていいと思う。


夏が終わる。



夏が終わる、9月でおわる、と一言日記において指おり数えるように何かと呟いてきた。
もうすぐその日である。
別れのときである。

日本の四季のなかで、さようならをこれほど強く意識する時節が果たして他にあるものだろうか。
少なくとも私は春にも秋にも冬にも、こんなにもきっぱりとした境界を感じない。
とはいえ、夏にも、はじまりは、そういえば特におぼえがない。
もう夏なのだなあ、とまばゆい日射に漠然と気づかされる。それが春であれば花の景色であり、秋ならば身にまとうもので、冬となると口から立ちのぼる呼吸の軌跡だ。そうやっていつの間にか変化していたことを知る。去ってゆくときも同様だ。
ただ夏は、夏だけは、妙にきちんと終わるのだ。
私の意識では9月をもって。

何故なのかとなかば呆然としつつ考えた。
日本中の子どもが、ある一定の年ごろから、ほぼひとしく、どうしようもなく分かちあう確固たる連休、夏休み。年によっては31日が週末に差しかかり、新学期が9月2日、あるいは3日からとばらつきがあるがそれはさておき。夏は8月31日で終わり、そこからは徐々に秋の模様が色濃くなっていく。そういう考えの人が多いかもしれない。
だが、ただ感覚が、9月のおわりというこのときこそ夏の終わりだと叫んでいるのだ。それがすべてで結局、理屈ではないのである。

夏だと意識した瞬間から、最近今日まで私がしたこと。
つまり、この夏の記憶を語ろうとすると、無為に長くならざるを得ない。季節のせいではない。私だからである。
が、少しくらいはあがいて、簡潔さに挑まんとしよう。

この夏はなかなか印象的な出来事の連続だった。
個人的な複雑な事情も相まってとにかくよく頭に血がのぼる日々を過ごした。
しかしその分コミュニケーションを取る安心感を覚えた。バンコクの猛暑の日々に。後半は台風の影響でくもった部屋で。ほっと一息つく涼しげな晩、汗をふきながら顔をあわせ、ほかほかのiPhone越しに、そして寝ころがってのLINEで。
わけても得がたかった喜びは、会って、話す、ということ。
メールや電話、SNSの類いも近代的な産物だが、じかに視線をかわして語ることは大昔から続いてきた知恵なのだなと深くふかく実感した。
便利であればあるほど簡単になり、消費から浪費への移行もとてつもなく素早い。私自身がついてゆくことはとてもとても出来ないほどに。通話を切ったあとの渇きは苦しい。

ひとに相談をすること、聞いてもらうこと、教えてもらうこと、そして自分なりのやり方を模索すること。

LINEに電話、メールもまずまず悪くはないが、すぐ目の前にそのひとがいる状態でそれらをはじめることが、私は本当に好き。
ということを、知った。
そうすると、感謝や、申し訳ない気持ち、大切にしたいもの、自分の未熟さ、弱さ、強さ、ずるさ、譲れないところ、そういった感情とか性格、信条めいた何かがどんどん明るみに出て、ひとりでは生きていけないなと唐突に腑に落ちたりもしたのである。
私が私らしくあるためには他人が絶対に必要で、より私らしくなるためにも、間違いなく他者という存在は不可欠。
極論になるが、本当にひとりなのなら、存在していなくても良い。
存在しているのならば、ひとりではない。

その間には苦しい離別があった。それは意志の外で成った。
多くの意味で動いた夏だった。

言ってしまえば10月からだって9月の終わりのつづきとしてさしたる変わりもない。
私はまた同じように失敗し、やり直し、くりかえし続けるだろう。
それでも、なお、言う。
あと2日で夏は終わる。
年中夏と言われるバンコクでもあと2日後からはすべて夏のなごりだ。
たとえ気温が35度になろうとも、夏服のままでも、熱帯夜が訪れようとも。
逆説めくが、季節がひとつ過ぎ去ったくらいでは私はびくともしないので、また来年まで、と笑って手をふることができるのだ。

やはりとりとめもなく冗長になった。
きっとこれが感傷というものなのだろう。否。否である。
何に左右されることなく、ただ淡々と連綿とつらなり途切れないものがある。たとえばそのひとつが、生であり、私である。

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不幸な気分

気づけばもう7月。

この長文日記を書かずに七夕月を迎えてしまったというのか。

毎日のようにこのコンテンツを更新していた頃が懐かしい。出張のどさくさ紛れにその原則は瓦解した。かわりにlivedoorBlogに日常を綴る短文日記があるからいいか、と思いきやそちらも気まぐれすぎる。

書くことがないわけじゃないのです。

それどころか、あれも書きたいこれも書きたい、そんな駄々をこねている7日間のくりかえしなのです。

多分やればできる子なです。でも、やらなきゃ絶対にできないんです。あまりにも当たり前です。

自己満足の場なのだし、まったくもって義務ではない、これが救いであり、かつ脳みそを甘やかす何よりの口実。

本当はルーチンワークとして、長文日記と言いつつ短めでもいいから毎日ちょっとでも書きたいのですが、いざテキストを開くともうとめどないんです。まったく始末に負えません。

というわけで、山ほどある書きたいことの中から、今これだけはというひとつについて以下、だらだらと述べる。

若い頃、特に十代、もうちょっとしぼりこんで、いわゆる思春期のころにやっておいたほうがいいこと。

それは、不幸な気分になること。

「大学在学中に何をすべきか、しておけばいいか」というコラムか何かを読んでいて、ふとそんなあさってなことが頭に浮かんだ。

ちなみに、その記事の中では、資格の取得、人脈の開拓と維持、TOEICを850程度、留学、海外旅行(特にアジア圏)、ダブルスクール、インターンシップ、ボランティア活動、恋愛、とにかく遊ぶ、などが「卒業ないし就職活動スタートの前に是非」と推奨されていた。

この中で私が実際にやったことはアジア圏進出とボランティア(?)、あと恋愛くらい。未だに運転免許さえ所持していない。マリオカートは中腰かつ両腕のみならず全身を揺らしてプレイせざるを得ない。もちろん、勝利の美酒の味など知りようもない。

一応お断りしておくと、大学進学すらしていないそんな私なりに楽しく有意義な生活は送っていた。キャンパスライフに憧れたりもするが、つたなくて愚かながらに愛おしい日々である。

話を戻す。

何故、十代なかばに不幸な気分になっておくと良いのか。

自分でもちょっととっぴな考えに過ぎる気がして、珍しくじっくり考えてみた。iPhoneの液晶を淡々と叩きながら。

まず、ひとつには、簡単にできることだから。

不幸な気分になることほどやさしいことも、そうそう無い。

私は不幸だ、とそう思った瞬間に、もう私は不幸な気分。まばたきよりはやく成就する。

故にやってみて努力の無駄だったという脱力感を恐れずにすむ。

また、免疫として有用かもしれない。

いわば、おたふく風邪や風疹のようなもの。

「三軒さきの山田さんのところの子が不幸な気分らしいから、ちょっと行ってきて貰っておきなさい」

反抗期だろうとこれは素直に聞いておいた方が無難。びっくりするほどあっさり感染する。

そして、傷らしきものができたとしても、その深さによるが、やはり治りも比較的はやい。

大人になればなるほど痛みは全身をむしばみ、しかも長びく。

治癒に専念したくてもなかなかまわりがそうさせてくれない、と現実と思いこみの狭間でもがき続けることになる。

最後に、自分の感覚というものを大切にして、信じられるようになる、かもしれないから。

少なくとも、やらないよりは、その可能性が高まる。

私は不幸な気分と言っているのであって、不幸の話はしていない。

たとえば、御不幸は何歳になっても何度むきあっても、慣れるものではない。回避できやしないけど、どうか起こらないでほしいと祈らずにいられない。

実際に不幸な境遇にある十代もいることだろうから、あまり無責任なことも言えない。

だから、あくまで、不幸な気分、であることを強調しておきたい。

日常のささいな幸せとか、かけがえのない、満ちたりたおもいとか、そういったものは大人になってからで充分。

若いうちは、ずっとでも、たまにでも、不幸な気分でいていい。そうであっていけない理由なんてない。

不幸な気分をまったく知らずに、あるいは自ら抑圧して成長すると、どこかしら傲慢に陥りがちなのではないか。

平均的に良い人間が絶対的に正しく、何ひとつ非も落ち度もなく、自分が見た黒と白のみがすべてになってしまう。

上手く言えないが、現代日本の子どもは基本的に恵まれているのだろう。

そんな中で不幸なんてぜいたく、と思われるかもしれないが、だから、不幸ではなく、不幸な気分なのだ。

自分は駄目な人間、いらない存在、理解してもらえない、好かれない、嫌い、ひどい、つらい、悲しい、孤独、消えたい。

そんなことを思ってはいけないと断罪する人間こそ、どうにかして不幸な気分を心ゆくまで味わってほしい。世代に関わらず。よもや手遅れということはない。と思いたい。

もちろん、十代で、本を読むだけで、歌うだけで、友達がいることが、陽だまりでの昼寝が、ごはんがおいしくて、うさぎがかわいくて、幸せ、と感じることが間違っているなどと言っているわけでは決してない。

そうした気持ちはとてもあたたかく育んでくれる。

ただ、そのすきまにある、ちょっとした寒さにこごえることを、悪いことだとは思わずにいてほしい。

更に付け加えるなら、この情報社会。

でありながら、結局、声の大きいところが正解と言わんばかりの空気。

せっかくだから出来うる限り多くのデータを集めて検証なり精査すればいいものを、たとえばウィキペディアひとつで終わらせてしまう。

そして、それが誤りのない、自分の知識であり主張だとして異論を拒む。

もちろん例外はあるが、それよりも、最初と最後は感覚を優先したほうがいい。

途中経過はネットや本、専門家の見識にまみれようと、それらを自分なりに洗う知性を捨てることは、それこそ不幸ではないか。

不幸な気分のなかで、疑うことと信じることを右往左往する。

どれだけ迷っても自分の感情から逃れられず、それどころかいつも始点にしてしまって、そして今ここに辿りついている。

間違っているか正しいか、そのふたつだけじゃない。

何かおかしいな、という感覚。

これでいいのかな、という感覚。

誰がどう言おうと、私はこうなんだ、という感覚。

その記憶と手ざわりが、ものごとの答えをいついつまでも探したり、あるいは、つくりだす強さを与えてくれる。

という気がする。

どうにも自信をもって明言できないところが未だに悩みどころ。

文責ですら怖い。まだまだ大人として足りないと痛感する。

どこまでも戯れ言。机上の空論。口先だけ。

という不幸な気分らしきものを未だにほんのり堪能しているだけある。現代では自虐とか言うのだったか。

無意識だと苦しいが、意識的にやると結構いい気分転換になったりもする。

成人の方々も、万一ご興味などありましたら、どうぞ軽くお試しを。

ところで私はマゾヒストではありません。あしからず。

胸中


あなたの過去になんて、誰も興味を示したりしない。
他人がわかるのは現在のあなただけ。
それを見て、あなたの過去は幸せなものだったのだろうと、そう特に深い意味もなく想像することはあるかもしれない。
あなたは幸せに生きてきたのだね。
率直にそう言われて、どう感じ、どう答えるかは、あなたが決めればいい。

何となく、ふとそんなことを思った。
そのとき鏡の前に立っていたので、あなたというのは、つまり私のことだろう。
ここ数ヶ月間、近くにいる人と幸せについてぼんやりと語る機会が続いた。

人と言葉をかわすことで何かがどんどん開けている気がする。
少なくとも私はそんな気がする。
自分の中でじっと考えこむことも好きだけれど、顔と顔をあわせて話し聞く楽しさも相当に捨て難い。それそのものがひとつの幸福だ。

結論が出たわけではない。
そもそも、そういう類の主題でもなく、手法でもない。
互いの感覚や価値観のようなものをほんのちょっとでも知るきっかけに過ぎない。
あなたと関わっていたいのですよと信号を送り届けられたのなら上等といったところ。
大切なのは、導きだしたものではなく、下じきになっているものの方かもしれない。

得体のしれない、つかみどころのない、一人ひとり違う、けれど良いもの、大切なものという認識だけは共通している、幸せなる概念。
わかりやすそうなところで例を挙げると、結婚。
周囲は基本的に祝福をする。幸せを願う。
しかし、まったくの他人であるふたりが人生を共にしようとするなら、自分だけの幸せは捨てなければならないだろう。
その尊い犠牲の末に、ふたりの幸せをつくりあげていくことになる。
こんなに簡単なことではないだろうが、とりあえずざっくりと考えて、そうだとすると結婚とはなんて創造的で意欲や可能性に満ちたものだろう。
にわかに結婚してみたくなった。ほんの一瞬。
というのは、結婚という制度を使わなくても構わないのではないかとすぐに自問しはじめたがため。
もともと私は、幸せになるために異性が絶対に必要だとは思っていない。
それ以外に様々な事情があって、結婚をするという選択肢を放棄している。
恋愛対象は恐らく異性だが、幸せを分かつ伴侶という広い意味では、同性が相手でも何も不思議なことはないと考えている。
それが圧倒的に少数派であることも自覚している。
そして幸せの反対は不幸でもない。
現在のところ、これという人はそばにいないが、私は充分に、本当に幸せだと、日々、感じている。
さみしいことも悲しいことも退屈さもあるけれど、いつだってそれを上まわって幸福にたちもどる。
自己満足ではいけないのだとしても、感情まではだませない。

だから、私が誰かに、あなたは幸せで恵まれてきたのだねと言われたら、おかげさまで、と笑顔で応じることだろう。
皮肉や嫌味が真意だとしても、それに流されないくらいには強くなった。
一方で、私は不幸なのだと嘆くことは、プライドが許さないというややこしさもある。
ただひとつ、幸せから遠くかけ離れているものが私にあるとしたら、親になれないことかもしれない。
少子化と騒がれているけれど、実際に減ったのは子どもではなく、親になれない大人のほうではないだろうか。
それは不妊という問題ではなく、肉体的に出産は可能でも精神面ではそうではなかったり、理由はあるにせよはなから子を持つことを拒んでいたり、そういった本来は不足すべきでないところがどうしようもなく欠けている大人のことだ。
私は後者に該当する。また、前者でもあり得るかもしれない。
大人であるのに親になる覚悟を育めていない、そんな未熟な人間であることは、確かに不幸なことだろう。
今ある安寧を守るために、この惨状から目を背け逃げつづけている。
せめて、こうして、この不幸というものに罪悪感だけは保っていなければいけない。
だからこそ、これ以上の幸福を求めてはならないと制限をかけているきらいもある。
幸せであることを許されているのだと思いたい。

と、幸せについて語ると本当にきりがない。
だから答えは出ない。
いつも明確にあらわせるのは、自分がどんなものさしを持っているか、それだけ。
そして、それは私の、私だけの手づくりのものなので、他の人の幸せをはかることは決してできない。

こういうことを考えたり話していると、何かが私の中から出たがっている気配にはたとまたたく。
どういう理屈かはわからない。が、あざやかなまでにそれを感じる。
芽吹き、息吹き、この世界に確かに存在し、生きたいと叫び、あがいている。
それは、もしかしたら、私自身が生涯でひとつ何かを成し遂げたいと絶対的に切望していることの暗喩なのかもしれない。
また、そうではないかもしれない。
とにかく、私の幸せというものと関係がありそうだと予感はしている。
もどかしくなる。こがれる。普段よりも更に、ずっとずっと落ち着かない。
でも、悪い気分じゃない。
不可思議なことだが、実はひとりではないことにも、けれどひとりにもなれることにも、どちらも怖くないことにも、同時に気づくのだ。


ガヨのお話



 ある朝、ガヨは言いました。
「そうだ、夜を探しにいこう」
 ガヨはベッドから起き上がると、いそいそと大きなバスケットを取り出しました。
 その中においしそうなサンドイッチをひとつ、ふたつ、みっつ。チーズとハムとレタスを挟んだやつです。バスケットに納めている間に、ガヨの口からはたらりたらりと涎があふれ出して、いつの間にやらバスケットがいっぱいになっていました。
 ああ、しまったしまった。ガヨは慌てて涎をかき出すと、あついココアの入った水筒を入れました。ついでに、おやつのチョコレートも入れました。しろいのと、くろいのを、ひとつずつです。
「さあ、夜を探しにいこう」
 ガヨはバスケットを腕に掛けて、意気揚々とドアノブをひねりました。
 けれども、いやいやうっかり、まだパジャマを着たままじゃないか!
 ガヨは顔を真っ赤にして、クローゼットに走り寄りました。
 戸を開けると、ハンガーに掛かった色とりどりの洋服がずらりと並んでいます。ガヨはお気に入りの真っ白なシャツを手にとって、ベッドの上に広げました。パジャマを脱いで、うきうきとシャツを被り、さあ、今度こそ!
「夜を探しにいくんだ」
 ガヨはもう一度バスケットを腕に掛けて、ドアノブをひねりました。
 がちゃりと金具が音をたてて、ドアがゆっくりと開いていきます。
「夜はどこにあるのかな……」
 
 ―――バン!

 ガヨの目の前は真っ暗になりました。
 ああ、夜はこんなに近くにあったんだ。
 探していた夜が見つかって、ガヨはとってもうれしそうに、にこにこと笑いました。





「やったか、エレン」
「―――ああ、やった、やったよ、セフィ」
 エレンの足元には、大きなバスケットから飛び出したみっつのサンドイッチや、あついココアの入った水筒が転がっていました。
 ついでに転がったおやつのチョコレートを踏みつけて、セフィはぷかぷかと煙草をふかします。
「じゃあとっとと上に連絡しちまうぜ。早いとここれを回収しに来てもらわにゃならん」
「そうだな」
「ったく……手間掛けさせやがってよォ」
 そう言うと、セフィはジャケットの懐から携帯電話を取り出して、どこかに電話を掛けました。
 ふらりと背中を向けて離れていくセフィを見ることもなく、エレンはずっと地面に散らばったものを眺めています。
 拳銃を握ったままの右手は、まだ少しびりびりと痺れていました。
「……馬鹿だな、お前」
 出てこなければ、殺されることもなかったのに。
 吐き捨てた先に転がっていたのは、真っ白なシャツを真っ赤に染めた、みにくいみにくい怪物の姿でした。
 みにくいみにくい怪物の顔は、けれども、にこにことうれしそうに笑っています。

 夜を探しに出かけたその怪物の名は、ガヨと言いました。