キシキシぷらむ視界

だらだらと長いだけの日記と、ちょこちょこと創作メモのような何かがあるブログ。

嘘なら優しく



中学校の頃に夢中になった本を無料WEB書籍で見つけ、再読している。
あの頃は小説家になりたかった。だからこの本もお手本だった。それまでに読んだ物語にはなかった描写の数々にいちいち圧倒された。
いつか、こんなふうにことばを操ることが出来るようになったら、きっと小説を世に出せるはず。そう信じていたし、願っていた。幼ながら自分なりに努力もしていたと思う。
本だけでは足りなくて、映画やアニメ、漫画など、視界に入る動きのすべてを頭の中で文章にしようと集中していた。しかしどうしても語彙が足りなくて、結局のところ、文字の媒体に戻ることの繰り返し。

今、その文体を、表現を、あの頃の自分自身を懐かしみながら、同時に現在の自分を振り返る。見つめ直すのではなく、かえりみている。
あれから10年ほど経った。しかし私は未だにこれほど想像力を刺激するような文章は書けない。そうする為に必要な情熱ももう無いし、こうなりたいとも特別に強くは望まない。

過去の私にとっての未来は、もっともっと順調で、充実していて、可能性は現実のものになり、毎日ひとつは何かを成し遂げているような、そんな輝きに包まれていた。
現在の私にとって、人生はまだまだ先が長い。それはもう、心底から辟易するほど。反面、いつ死んでしまっても不思議ではない厳しさや不条理を受け入れつつある。まだ伸び悩んでいる、などと言うと笑われてしまうのだろうな。
もはや職業として何かになるということは問題ではなく、どこで芯を通すかが大事になってきている。そしてそこで躓いている。もしも私が表現者になっていたなら、生きることは更に過酷になっていただろう。あるいは、もう生きてはいないだろう。肉体的にも、精神的にも。

書籍や音楽を通しての過去との再会は、どうにも気恥ずかしく、甘酸っぱく、苦々しい。でもあのころの自分が馬鹿だったとは思わない。今のほうがよほど愚かだ。

未来の私も、そう断言してくれると良いな。

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