キシキシぷらむ視界

だらだらと長いだけの日記と、ちょこちょこと創作メモのような何かがあるブログ。

秋の夜長のひとりごと




人間が脳で思考して言葉や行動に移す以前に、無意識の欲求は身体の各部位にはっきりと現れている。と、3年前くらいかな?教わった覚えがある。

実際にはどうかわからないが、私も身近に経験している。まだ小学生だった頃の話だ。柔道の試合、畳を挟んで向かい合ったときに選手の仕草や雰囲気などから相手が右組みか左組みか。最初の動き、何の技を出すかを感じ取ることができた。(当時は真剣に自分はエスパー能力を持っていると思っていた。)

実は皆、身体の表情から心を感じ取る能力が備わっているのではないだろうか。それと同時に稽古で「内観」に意識を向けることにより、そうした無意識に現れる波長を調えられる(コントロールできる)ようになるのではないか。







なーんて、難しい話は他の先生方お任せして!とにかくフィジカル欲しい!!フィジカル!!!
でも今はちょっと萌え語りか、ひたすら梶語りをしたい気分。
前者はともかく後者は相手が見つからないなあ。こんな時間だしなあ。実際にやってみたところでオチもキリも無いだろうに。
何のこっちゃとお思いだろう。私も思う。
たまに自分の欲求にどんな意味があるのか分からなくなる。何故だろうか。
まあ気分なんてそんなものか。そんなものだな。
そんな秋の夜長。



すかいぷ女子会議


最近は長年の友達2人とSkypeなるものをしている。そこで、恋愛において相性というのはどこではかるものか?という話題になった。
というのも友人その1が結婚という華々しい予定を立てつつあるからだ。
ちなみに友人2は既婚者。その3である私はその手のことは全く微塵も気配すら無い。



相性って、運でもあるし縁でもあるよね。

出会い方の問題ではないよね。

でも出会いに行くまでも運や縁じゃない?

まあ、まず出会いたいって漠然とでも思ってないと。

目の前に運や縁があっても見逃すようじゃアレか。

努力してどうにかなるものでもないけどね。相性も運も縁も。

それの全部がぴったりなら運命的になる?

上手く行けば運命。そうでなければ通過点?

でも結婚とかまで行くとなると通過点なんて言ってる場合でもないよねえ。

たとえば相性って、どこが大事?笑いのツボ?悲しむポイント?

単に趣味とか好みではない気がする。

まあ、それも合致しているに越したことはないけども。

環境?

それは大事だわ。育ち方というか。親の価値観にもなる?

結局、家族関係を持ち込むことになるから、結婚は。

どこの家も何かあるし、入ってみないことには。

入ってからじゃないと分からないこともあるけどね。

そこでトラブルになった時、旦那さんになる人が自分の親と自分の嫁、どちらの味方になってくれるかが大事だと思う。

旦那さんにとってはどちらも自分の家族だからなあ。割り切れるものでもないかもしれない。

トラブルの内容にもよるかな。

何をトラブルと思うか、それにどう対処するかに相性が表れそうだね。

最終的に理解してくれないとしても、とりあえず話は聞いてくれないと。

聞く耳を全く持たないのは論外。

悩みとして受け取ってくれるか、また愚痴かよって流されるか、そこでも相性が出そうだなあ。

ということは価値観?

価値観……。

運や縁はどこ行ったの?

それも含めての相性で、価値観?

幸運や良縁を素直に喜べる人なら、まあ悪人ではないかな。

でも降って湧いたラッキーで済ませるんじゃなくて努力もしないとね。

どこで努力をするかが価値観か。

じゃあどこで諦めるかも価値観?

相性も運も縁も努力ではどうにもならない部分があるけど、価値観は歩み寄りがコツとも言うか。

譲る努力、ね。

最悪、価値観は違っても話し合えればまだ良いんじゃない?

だから話も出来ないのはそれこそ話にならんて。

会話が成立するかがまず大事だよね。

それが一番大事かも。

そうだなあ。会話の時点で気を遣って疲れるんじゃ辛いわ。

とりあえずケンカをしてみるってのはどう?

ケンカも大事だね。それで分かることがたくさんある。

譲れること、譲れないことが何となく分かりそうだしね。

そこで口下手だとどうなるんだろう。困る。

え?口下手って可愛くない?

可愛いね。口下手な男。

横文字で言うとシャイだ。

可愛いねー。

男は可愛くてナンボだよねー。


この一見なにげない会話の中で私が改めて感じたことは、私たち3人は思えば趣味も好みも価値観も基本的にはバラバラだということだった。何しろ共通項が極端に少ない。それはもういっそ面白い程に。
しかし、何だかんだと人生の大半を友人として過ごしている。少なくとも私にとっては義務教育時代の拙いぶつかり合いを経てなお繋がっていられる、貴重な存在である。
各自の距離の取り方が絶妙なのか、この3人の間に何か奇跡的な相互作用が働いている結果か、未だ解りかねる。
が、きっとものごとを見逃す目が似ているのだろう。そんな気がする。
許すかわりに、見逃す。これは人の知恵の限界でもあるのではないだろうか。
別に何か大それたことを言うつもりは更々ないが、それぞれ天性の適温で関わることが出来る縁という運にやはり感謝したい。
ちなみに友人1曰く、我々の血液型だと相性はばっちりなのだそうだ。
私、あなたたちの血液型を知らなかったよ……すみませんすみません。


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修練所の日常写真。



お久しぶりです。



昨晩、夜の窓越しに白い気配を感じた。
見るとガラスの外側にぺたりと張りついたヤモリの姿。特に害を為す訳でもなし、時にしなやかに、あるいはつるりと滑る様にしてうごめく姿を眺める。


君は世界中どこへ行っても何となく生きていけるというか、生活できそう、いやできる、と仰っていた友達が最近国際結婚をしたらしい。
あなたの見立て通り、ぷらむはこうして時代錯誤ながら幸せに暮らしております。
生きることは時に苦しくもあるけれど、生活をするということはいつでも希望そのものだ。うん。





緩やかな死



いや、アレだ。まあ自覚はしてたが…

「 デブは存在がマナー違反 」ってお言葉を頂戴した。私、こう見えて性別は女である。


今流行りの断捨離を特集した雑誌を見ながら気持ちの整理メモなるものを書いたり、散々プラスに考えようとした。

「この先生と生徒たちはワタシの醜さを自覚させて改善させてくれようとしたのではないか」だとか、な。

まあどっちにしろ余計なお世話だが。


その場では笑ってスルーした。しかしそれが気に食わなかったのかその後逆ギレなるものに合い口聞いてもらえなくなってしまう現状。一体どうすればよかったというのだ!

謝っていれば何か変わっていたのだろうか…。


立場というものがあるから引きこもることも出来ないし、食事にも顔出さないといけないし、お目汚ししてしまって大変申し訳ない気持ちでいっぱいだが、存在を消せってのは無理な話なのだ。


もうご飯は食べない。そもそも食欲すらわかないから問題無い。ごはんの時間はしょうがないのでソンパック(漬物)をもぐもぐして、飲み込まずに出す。食欲がわいたら卵を一日一つ。一応これで5キロ体重が落ちた。目標まであと11キロ…気が遠くなりそうだ。



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女子として見られたいわけではないからあまり参考にならないが、今の自分の体重、容姿では周りの人の目を汚してしまうらしくヒトとして生活出来ないらしい。とても世知辛い。(これでも身長から割り出した平均体重程度なのだが……)



いつだってそうだ。柔道をやめてからずっとそう。取り柄がなくなって、存在自体を否定されることが多くなった。妹達は柔道で成績を残さなくても暴力振るわれなかったのに。毒親が言っていた。

「○○家は軍隊と同じだ」

「サーカスの動物と同じで口で言ってわからなかったら暴力でねじ伏せるまでだ」

だからまあ私だけ生まれ落ちたその時から家族として取り合ってもらえてなかった訳で。柔道をやめて人を喜ばせる家畜からただの家畜に成り下がっただけな訳で。今更へこたれることはないけど、ラオスで他人から見て未だ存在意義のない自分が悪い。醜く太っている自分が悪い。全部私が悪いのだと思うと正直きついものがある。



もう一人の先生とえりさんはこんな私をヒトとして認識してくれているから、心の支えである。ありがたい。

本当にありがたい。



体調が悪く、気分がふわふわしている。緩やかな死を毎日経験してるみたいだ。





存在が不正解


骨無し皮肉が溢れてる
みすぼらしい人 着飾った人
面白可笑しく指を差されて

自分が正解と大口で叫ぶ
誰か教えてくれ
私のどこが不正解だろう

自嘲してそれも笑われて
よくあるパターンだとネタにされ


誰かに愛されたあの両目は
動物園みたいに私を眺める

不正解だよと言われた
君も不正解だよ

私も不正解だけど



ぐるぐる



 胃が私の意志に反して吐き気を催すほど急激にぐるぐるとかき回される。電車で3駅離れた所にあるほんの少し高いケーキ屋の品高い栗の濃厚な香りのする、大好物のはずだったモンブランも何故だか今日は過剰なまでの悪臭を放っている。試しにほんの一口だけ舌の上に乗せてみるも、途端に吐き気が顔をもよおしたので訳もなく無性に腹立たしくなり大声を上げて泣き出したくなった。砂を噛むような、錆びた鉄を舐めるような不快感に捲し立てられ、部屋の戸棚にあったありと凡ゆる薬を息もつかずに飲み干してしまった。
 するとどういうわけか今までの苛立ちや不快感がすとん、と部屋中に漂う悪臭の中に無色になって溶け堕ちて消えた。



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てくてく



私はもう少し、あるいはしばらくの間、型にはまった方が良いのではないか。
ふとそんなことを感じている秋の休日。


歩き方が悪いのか、新しい靴をおろすと高確率でかかとが血まみれになりシャワールームはもれなく苦行林と化す。
これを回避するには、足全体をおおわないデザインを選ぶしかない。すなわちサボ、ほぼこの一択となる。予備の候補とビーチサンダルなどが挙げられるものの、これはこれで親指と人差し指の隙間を痛めつけるのだからもうどうしようもない。
私ったらまるでバレリーナのようだわと陶酔できるのならばいっそ本懐というもの。爪先とかかとの違いなど些末な問題である。
しかし、できればやはり快適に、軽やかに歩きたい。
あたかも裸足の如き心地までは求めていない。ただ、購入前後からの不安、そしてまぎれもない肉体的苦痛の軽減と緩和を切望しているだけだ。私は断じてマゾヒストではない。


靴によってできた傷は、馴染むにつれて自然に治っていく。足の形が変わるわけではなく、靴がやわらかくなるのだろう。
または、無意識に、その靴に応じたバランスを会得しているのかもしれない。
中にはいつまで経っても優しくならない靴もある。
どうしても相性があわないものは、如何なる場面でも出てくるものだ。極限まで無理などしようとせず、潔く別れを告げる以外に術はない。
気に入ったのになあ、高かったのになあ、と名残惜しさは尽きないけれど、いつまでも痛みに付き合っているわけにもいかない。


まだ幼い頃の話。ものづくりにしろ、読書や映画鑑賞にしろ、あえて定説どおりにやらない自由さとか、既成概念にとらわれないところなどを、私の数少ない長所として客観的に捉えていた節があった。
だが、視点の中心を主観に据えてみると、単に楽をせんが為の弁明に過ぎず、個性だとうそぶき、こまごまとした面倒を避ける、要するに自分に甘いだけだという事実が浮かびあがってきた。

性分として他者の意見に是も非も唱えたくないのでめったに議論などはしないようにしてきた。けれど、ある程度成長し18くらいの頃だろうか。外の世界に出て、私の周りには肯定も否定もないことに気づいた。

ひとりで黙々と作業をすることが好きという傾向は恐らく一生続くだろう。しかし、口出しをされる方が結果的には栄養になる。では、どうやったら批判や忠告を得られるか。
これはもう人前にものなり何なりをどんどん出していくしかない。
そのためだけにまずはひとつ、自分で絶対的に良しと言えるところまで完成させる。
少なくとも、最初のうちはそうしないと自己満足にしかならない。趣味だからそれで良いという考えもある。私もそのうちの一人だ。
ただ、ものをつくりあげる基礎のようなもの、それに向かう努力や継続する強さなくして、はたして自分なりの納得すらありえるものなのかと、だんだんに疑問に思い始めている。

つまり、最低限の準備を整え、始末をつけるまではやろうということ。途中の失敗は仕方がない。この際、完成度もどうでもいい。とにかく一通り、はじめから終わりまでの地道な過程をないがしろにしないこと。
今までそこそこ輪郭が見えてきた気がしたら急に思いつきのままに省略したり足したりして、結局さして何にもならず放り出すことがあまりに多すぎた。常に次に目移りしていて集中力も途切れがち。
忠実にひとつ完成させれば、次に生かせるものが必ずある。
しかし、決して近道ではないだろう。
基礎こそ神髄として決して疎かにできるはずがなかったのだ。
きちんと型にはまってみないと、あるか無きかの自分らしさとの差異など、はかりようもない。

上記したことのほとんどは今手直ししてる創作小説の話。
何にしろ、うまくやるより喜んでいたい。研鑽と両立できれば願ったり叶ったり。

新しい靴のいたみと共に歩むからには、外に出ないわけにはいかない。久々に息抜きがてら、カメラを持って散歩でもしようかな。


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ゆらゆらゆらぐ

    

先が見えない不安は、不安定とは異質に思う。やってみなければ吉と出るか凶となるか絶対に分からないし、取り掛かってから自信を失って世界がゆらぐ。
しかし、自身が揺れ動いている不安感とゆるい期待との相性の良さにはいつも救われている。運がいいのかな。
呼吸をしているあいだはずっと玉石混交。
過去を基にした現在の青くさい物思いもだって、真っ白な未来を楽しげに侵食していく。何の心配もいらないね。

というひとりごと。

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